正垣泰彦会長(サイゼリヤ)の本を読んでいます。かなりおもしろい!

 『おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ』のタイトルが刺激的だ。自社の商品について、これほどはっきりと言い切った経営者を見たことがない。1976年~82年まで、市川市に住んでいたわたしは、サイゼリヤ2号店(本八幡駅北口)の常連客だった。

 生まれて初めて生ハムとピザを食べたのが、イタリア料理の店、サイゼリヤだった。総武線の本八幡駅からはかなり離れたところに店があった。くねくねと折れ曲がった細い路地のその先で、立地は必ずしも良くなかったはずだ。
 しかし、下総中山のマンションに遊びに来た友人たちは、例外なく、わたしに本八幡の北口にあった、あのサイゼリアの店に連れて行かれた。生来の酒好きだったからだろう。ピザが食べられる上に、ワインが置いてあったことも大きかった。
 そうそう、イタリア製の丸いボトルのワインをよく飲んだ。たしか、「キャンティ」というブランドのワインだったような気がする。
 サイゼリヤには、当時から、グラッパが置かれていたらしい。正垣さんの本には、そのように書いてあった。しかし、当時のサイゼリヤで、ワインの搾りかすを発酵させた、蒸留酒グラッパを飲んだ記憶はない。今度、サイゼリヤにいったら頼んでみよう。メニュー表は、当時もよく読んでいたはずだから。

 わたしがサイゼリヤのファンだったのは、値段の安さが理由ではなかった。生ハムやパスタやリゾットがおいしかったからだ。だから、実弟(晋平)が住んでいる、埼玉県吉川市に本社があるイタリア料理のチェーン店「サイゼリヤ」と、わたしたちが通っていた本八幡の「サイゼリヤ」とが同じ会社だったとは、しばらくの間は気がつかなかった。
 サイゼリヤに注目するようになったのは、同社が福島県白河市に農場を持つようになったころからである。ワタミやモスと一緒に、有機野菜の生産を検討していることも早くから聞いて知っていた。こちらは、文科省の科研費研究(03年~06年)で、オーガニック農産物の研究をはじめたときである。
 渥美先生(ペガサスクラブ)がご存命のころ、サイゼリヤの加工場に連れていってほしいとお願いしていた。残念ながら、先生が心臓の病に倒れられたので、一緒に正垣会長の話を聞くことができなかった。チェーンストアエイジ誌で「食のSPF」(07年)を取材したときにも、なぜか同社のインタビューはできなかった。

 市川に住んでいたころから、30年が過ぎた。偶然でもないだろうが、サイゼリヤ1号店の写真を見た。一号店は火事で焼けたのだそうだが、市川の街並みがなつかしかった。経営者(正垣さん)が何を考えて、市川にあった1・2号店を経営していたのかを、当時はひとりの客として知りようがなかった。
 そういえば、マツモトキヨシについても同じだった。総武線の下総中山駅の前にあった店を、いつも利用していた。そのことを、99年のインタービューの時に、当時は副社長だった松本南海男さんに話したものだ。松本さんも、正垣さんと同じ世代で、理科系(薬学部)の出身だったような。
 たぶん7号店か8号店で、西友下総中山店の真ん前で、ガード下の暗い店だった。冬は、店長さんがストーブを炊いていた暖をとっていた。店長の顔をいまでも覚えている。手をかざしている店長の前を、大学院生だったわたしはそのまま横切っていた。
 店は開放されていて、角に柱があったから、店内を歩いていったわたしは、じろりと白い目で睨まれたものだ。だって、病気をしないから、ふだんは何も買わずに通り過ぎたのだから。だから、いまになって恩返しをしている。ドラッグストアは、マツキヨしか利用していない。
 マツキヨ(新松戸に本社があった)も、その後にドラッグストアの立派な全国チェーンに成長したが、当時はそうなるとは思わなかった。

 正垣会長の本については、別途に書評をするつもりである。★4である。