小川町経営風土記

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本日(2010年7月20日24時)をもって、「小川町経営風土記」の連載欄は閉鎖になります

「小川町経営風土記」(HP転載:全22回)のカテゴリーは、本日をもってクローズされる。10月末~11月中旬にかけて、小学館から『しまむらとヤオコー(仮)』が出版となるためである。いま原稿を整理、再編集している。
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第22回小川町経営風土記「そして、大躍進が始まった!」『チェーンストアエイジ』2009年8月1・15日号

(前号までのあらすじ) ヤオコーとしまむらは、昭和50年から共同出店を始めていた。長瀬店(昭和50年)と児玉店(昭和52年)は、ヤオコーが開発してしまむらがテナントとして入店する形式をとっていた。大店法の施行で出店規制が強化される中、両社は...
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第21回小川町経営風土記「ヤオコー、しまむら共同出店」『チェーンストアエイジ』2009年7月15日号

(前号までのあらすじ) 昭和51年、リクルートブックを利用して大卒1期生7人の採用に成功したヤオコーは、5号店までは開店初年度から黒字が続いていた。しまむらも、大手量販との戦いで苦戦はしていたが、フリースタンディング立地に出店した寄居店(4...
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第20回「大卒採用大作戦」『チェーンストアエイジ』2009年7月1日号

(前号までのあらすじ)  小川ショッピングセンター(SC)を開店して以来、ヤオコーは近代的な食品スーパーとして順調に離陸を始めた。川野トモ(元名誉会長)と幸夫(現会長)に、二人の強力な助っ人が現れた。昭和47年に実弟の川野清巳が、翌48年に...
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第19回「ヤオコーに揃った“三本の矢”」『チェーンストアエイジ』2009年6月15日号

(前号までのあらすじ) 昭和44年、小川駅前に新店の用地を取得したヤオコーは、梅澤理事長の尽力で小川信用金庫から5千数百万円の融資を受けることができた。近代的な食品スーパーとしてスタートラインに立ったスーパー八百幸(当時は、漢字の社名)は、...
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第18回「ヤオコー、近代化に動き始める」『チェーンストアエイジ』2009年6月1日号

(前号までのあらすじ) マルエツでの修業を終えた川野幸夫(現、ヤオコー会長)は、小川町に戻って母親のトモを助けて働き始めた。幸夫が帰郷した年(昭和44年)、ヤオコーは小川と嵐山の2店舗で年商2億6000万円。トモ(当時、53歳)が育てた女性...
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第17 回「縁もゆかりもある両家」『チェーンストアエイジ』2009年5月15日号

(前号までのあらすじ)  昭和50年、しまむらは、立地調査にセスナを利用して、本格的にチェーン展開をはじめていた。一方、八百屋からスーパーマーケットに転換したヤオコーは、3度の改装を経てその後も順調に成長していた。川野トモ(昭和45年当時、...
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第16 回「上空から立地を検証」『チェーンストアエイジ』2009年5月1日号

(前回までのあらすじ) 4年ぶりの新店となる7号店(児玉店)と8号店(境店)を開店するにあたり、しまむらの島村恒俊社長は、知り合いの大西勇一氏(タテバヤシ・エアロクラブ社主)が所有しているセスナをチャーターした。上空から新店の立地を調査確認...
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第15 回「セスナ操縦を夢見て『チェーンストアエイジ』2009年4月15日号

(前号までのあらすじ) 東松山駅前への出店後、大手量販店との激突でしまむらの経営は厳しい状態にあった。昭和47年以降は、チェーン展開が一時的に頓挫していた。しかし、廣瀬や藤原らの優秀な大卒社員で力を蓄えたしまむらは、昭和51年に4年ぶりで新...
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第14 回「はじめての支払い繰り延べ」『チェーンストアエイジ』2009年4月1日号

(前号までのあらすじ) 昭和45年春、食品スーパーのマミーマートと組んで、しまむらは東松山駅前ショッピングセンター(SC、1F:食品450坪、2F:衣料品450坪、3F:ボーリング場)をオープンした。共同でSC開発運営会社を設立、小川信用金...