日本のギフト市場は伸びているのですが、お中元・お歳暮はどうなのでしょうか? 虚礼廃止で百貨店のビジネスは厳しいと言われていますが、言われているほどではないようです。連載の105回目では、贈答事情を取り上げてみました。
(その105)「令和の贈答事情」『北羽新報』2025年6月23日号
文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)
虚礼廃止で、お中元やお歳暮の市場は、横ばいないしは微減の状態が続いています。データからも、その実態をうかがい知ることができます。ところが、都内の大手百貨店に勤めている友人に尋ねたところ、わたしたちの想像と実際は少し違っていることがわかりました。
お中元は、仏教伝来とともに中国から日本に渡ってきた風習です。”中元”は中国の祭日が起源で、中国の民族宗教である「道教」の三元のひとつ、中元(7月15日、地の神様)にあやかったものです。ちなみに、大元(1月15日)は、天の神様。小元(10月15日)は、水の神様だそうです(ギフトショップの「シャディー」のホームページから)。
お中元の習慣は、室町時代に武士や貴族の間で始まりました。ただし、「お世話になった人への感謝」という意味合いで、庶民の間でお中元の習慣が広まったのは、江戸時代からのようです。中元(7月15日)とお盆の行事が重なり、その際に子供から親に魚などを贈るようになりました。このころの贈答の習慣は、家族の間に限られていたそうです。贈る物としては、そうめんや米、塩さばなどを手渡しする風習があり、これと中元が合わさって「お中元」という日本古来の文化になったと言われています(シャディーより)。
確かに数年前までは、例えば、盆暮れに仕事関係でお世話になった人に贈り物をする風習は廃れかけていました。コロナの時期に、経費削減の要請などもあり、お中元やお歳暮を仕事関係でお世話になった相手に贈ることを止めた企業も少なくなかったようです。しかし、わが友人の説明によると、いまや贈る相手と贈る物が変わって、お中元やお歳暮の習慣は形を変えて静かに復活しているそうです。
贈る相手で増えているのが、離れて暮らしている家族や友達たちです。考えてみると、身内や知り合いに贈答品を渡す風習は、お中元の原点回帰に当たります。また、昭和の時代で代表的な贈答品はビール(相手は男性)でしたが、令和の時代の贈り物は、主としてお菓子(女性に向けてのギフト)に代わっているようです。同じお菓子でも、冬は和菓子で夏は洋菓子が多いとのこと。その際には、たとえば、クッキーとチョコレートなど複数のアイテムを組み合わせて贈るのだそうです。何やら女子会の集まりを想起させます。
同じような風景は、バレンタインの日でも見かけます。かつてのように、2月14日に、女性が男性に愛を告白するためにチョコレートを贈る習慣が全くなくなったわけではありませんが、いまや義理チョコが消えてしまった代わりに、仲の良い女性同士が甘いものを贈ることが街ではふつうに見られます。
新しいトレンドは、お中元やお歳暮を扱う業者が、大手百貨店だけに限らなくなったからかもしれません。EC(電子商取引)やスマホ、生協などのギフトカタログが充実してきています。若い人の間では、百貨店の包装紙の威力がかつてほどではなくなっているのかもしれません。百貨店に勤務している友人によると、それでも昭和生まれ世代や地方都市では、三越や高島屋の包み紙が、いまでもブランドとして絶大な効果はあるようです。
なお、本コラムの原稿を送ったところ、「国内のギフト市場は伸びています。儀礼にとらわれない贈り物は増えているということですよね」というコメントが戻ってきました。
コメント