(その92)「ふるさとは遠きにありて思ふもの」『北羽新報』2024年5月27日号

 生まれ故郷の秋田に帰省しました。能代図書館の主催で、昨年刊行した私小説をテーマに講演会を開いていただきました。そのときの想いをコラムにしてみました。
 帰省するときに思うのは、金沢出身の詩人、室生犀星です。望郷の念を謳ったものと思っていた犀星の詩は、実は深い怨念を込めての詩作だったようです。
 

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」『北羽新報』2024年5月27日号
 文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)

 表題の詩(ふるさとは、、、)は、詩人の室生犀星が、故郷の金沢に戻った際に詠んだものと言われています。冒頭のフレーズには、「そして悲しくうたふもの」という句が続きます。ここまで来ると、読み手はしみじみとした気持ちにもなるものですが、文学者の心情はそれほど単純ではありません。
 「遠きにありて」の部分が有名になりすぎたので、犀星の詩は、田舎から都会に出てきた人の望郷の念を謳った詩だと誤解されているようです。しかし、この詩は不遇な時代の犀星の作品で、金沢に帰郷して親類縁者から邪険に扱われたときの憎悪の気持ちを表現したものだとの説が有力です。
 幸運なことに、わたしの場合は、犀星とはちがって温かい想いで故郷を思うことがふつうです。両親や祖父母が生きていたころの田舎の風景を懐かしく思い出します。しかし、長く故郷を離れて暮らしていると、わが町が少しずつ遠い場所になりつつあります。

 さて、拙著『わんすけ先生、消防団員になる。』(小学館スクウェア)の出版がきっかけで、能代図書館から講演依頼がありました。おかげで、久しぶりに能代に帰省できました。講演の前日(5月10日)に、友人の加藤祐悦くんが、大館能代空港まで迎えに来てくれました。
 そのまま能代公園内にある「松風庵」で、高校時代の友人たち4人(小熊くん、瀬川くん、藤島くん、加藤くん)と昼の宴席を持つことができました。宴席を手配してくれた加藤くんによると、「夜のアルコールの席は、みなさんもう無理です」と事前に説明がありました(笑)。
 公園の高台から能代の町を見下ろしながら、秋田弁でとりとめのない会話が3時間ほど続きました。楽しい時間でしたが、昭和26年生まれの能代高校の同期は、今年で73歳です。ここ数年で鬼籍に入った同期が数人いたことを知って、少しばかりショックでした。
 夕方からの宴席は、小料理屋の「二葉」でダブルヘッダーになりました。夜の席を手配してくれたのは、藤重雅継館長(能代図書館)と小野靖子さん(妹の友人で、元秋田県立図書館長)でした。この席には、「木の学校」の佐々木松夫所長、元ゼミ生の佐藤孝くん(元秋田銀行勤務)、そして、連載開始から6年間、『北羽新報』で本コラムの編集を担当してくださった八代保さんにも加わっていただきました。
 
 なお、翌日の講演会には、わが親戚や友人なども入れて、約40人の能代市民の方が駆けつけてくださいました。聴衆の中に、60年前に「能代二中の図書館」に勤務していたという女性がいました。彼女との会話から、「生徒会長だった小川さんは、毎週のように図書館に調べ物に来ていましたよ」と知らされました。
 自分の記憶から完全に消えてしまった「遠い昔の自分の存在」を鮮明に覚えてくれている人がいたことに、素直にとても驚きました。女性の方からは、講演で配布した書籍にサインを求められましたが、仙台行きの列車の時間が迫っていました。後日、図書館経由で自宅に本を送ってもらうことにしました。
 懐かしく楽しい故郷への2日間の旅でした。そして、今度の帰省で、故郷が少しだけ近くなったように感じました。

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