(その73)「遠い夏の日の花火」『北羽新報』2022年8月27日号

 全国で花火大会が復活しています。生まれ故郷の「能代の花火」が、去る7月23日に3年ぶりで復活しました。本日は、全国3大花火大会のひとつ「大曲の花火」が挙行されます。現地の天気は雨模様です。はじめて友人たち3人と鑑賞します。雨に祟られた夏でした。

 

「遠い夏の日の花火」『北羽新報』2022年8月号
 文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)

 

 二ヶ月ほど前のことです。大学院でゼミ生だった松尾英理子さん(サントリー勤務)から、わたしのLINEにメッセージが届きました。
 「7月23日に、能代で花火大会があるのですね。出張先のかみのやま温泉駅にポスターが飾ってありました」(7月3日午後5時50分)。旅先の山形での思わぬ発見に感激したのか、とても嬉しそうな文面でした。
 かみのやまの駅舎で撮影したと思われるポスターの画像(2022年第18回 港まつり能代の花火)が、メールに添付されていました。ポスターの真ん中付近の「復活のノロシ(ノシロ)」というキャッチコピーは、復活の狼煙(のろし)を能代に掛けたものと思われます。いかにも能代っ子が考えそうなギャグに、思わず笑ってしまいました。

 川崎市在住の松尾さんが、仕事先で「能代の花火大会」に反応してしまったのには、理由がありました。2年前に100歳で亡くなった彼女のおじいさん(大越正雄さん)が、森岳(現三種町)の出身だったからです。これも偶然なのですが、わたしの伯父(珍田武蔵)と大越さんは、旧森岳町の金岡小学校と旧金岡中学校(現山本中学校)で同級生だったのです。

 この事実を知ったのは、松尾さんが大学院を卒業してずいぶん経ってからのことでした。小中学校の同級生の甥っ子(小川)が、クラスメイトのお孫さん(松尾さん)を大学院で教えていたわけです。世の中では、こんなことも起こるのですね。

 

 ところで、ポスターを見て不思議に思ったのは、花火大会の「18」という開催回数でした。わたしが子供のころ(1960年代)には、米代川の河口付近で花火大会が始まっていたはずです。少なく見積もっても、延べの開催回数は40回を超えているはずです。
調べてみると、疑問が解けました。「(旧)能代の花火大会」は、能代大火の復興記念行事として1958年に始まっていました。その後、港にあった外材の貯木場が障害になり、1979年からは花火大会が中断していました。
 2003年に、24年ぶりに花火大会が復活したのだそうです。2012年に、「港まつり 能代花火大会」に名称を変更。パンデミックのため全国各地で花火大会が中止になった2年分を差し引いた回数が、18回でした。今回は、再復活の花火大会だったわけです。能代港の会場で、(能代でしか見られない)3尺玉の打ち上げを見られた人たちは、3年ぶりで納涼花火の感激を味わうことができたわけです。

 

 故郷を離れて都会で暮らしている元能代市民が、生まれ故郷で思い出す行事といえば、まずは「ねぶた祭り」です。物悲しい笛の音と勇壮な太鼓の響き、絢爛豪華な七夕の灯篭。夜遅くまで、町内を練り歩く山車について歩いた眠たい経験は、忘れられない幼少期の想い出です。
 その次に来るのが、「お腹にドーンと響く」能代港の花火でしょう。もしかすると、松尾さんが花火のポスター画像を送ってくれたのは、大越のお爺ちゃんが生まれた隣の市で催される、壮大な光のイルミネーションを娘さんに見せたかったからなのかもしれません。
 今回はそれが叶わなかったわけですが、松尾さんとは、娘さんを連れていつかおじいさんが子供のころを過ごした三種町で、「じゅんさい摘み」の木舟に乗ってみたいと話しています。できれば遠い日の花火の再現を、翌日にでもセットできたらと思っています。