今朝、地元新聞の『北羽新報』に、コラム(その116)が掲載されました。記事を読んだ従兄弟の小川訓右(くにゆう)さん(能代市浅内在住)から、朝早くに記事に対する感想が送られてきました。忌明けとは、4月2日に末弟が亡くなってから49日が経過したという意味です。
おはようございます。
先日、忌明けのお知らせとギフト届きました。はやいものですね。
今朝、朝刊でコラム拝見しました。全く儲からない米と野菜を細々と作っている自分のことだなぁと考えさせられました! 昨年の米価の高騰を受け、米農家でも大きな転換期を迎えています。これまで消費税納税に無縁だった農家が軒並み2年後に納税義務者になります。大型農機具を買おうにもあまりの価格上昇と納期が2年先など流通が目詰まりしてます。高市さんの思惑どうりには行きそうにないですね!
美味しい農産物を作るにはコストとの戦いをいかに克服するかと感じてます!
なお、今朝の『日本経済新聞』に、秋田県や高知県の人口が大正時代(1920年)に逆戻りしているという記事が掲載されていました。縮んでいく日本の典型のような秋田県で、農業を営んで行くことの難しさを、訓右さんも感じているのですね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(その116)「農業の未来:久松さんの予言」『北羽新報』(2026年5月25日)
文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)
友人で有機栽培農家の久松達央さんから、新刊本の見本が届きました。5月20日に光文社から発売される「おいしい日本の野菜が消える日」というタイトルの本です。見本刷りを送ってくれたのは、光文社の三宅貴久編集局長。冒頭の第1章「コンビニから遅れて50年 農業の新時代が始まる」で、久松さんの対談相手がわたしだったからです。
「『おいしい日本の野菜が消える日』では、たいへんお世話になりました。見本をお送りします。良い仕上がりになっていると思います。おかげさまで、ちょうど手紙を書いているタイミングで、発売前重版が決まりました。三宅」
発売前の重版はめったにないことですので、久松さんの本はベストセラーになると思います。タイトルがとてもキャッチーだからです。久松さんは、日本の農業が近々に大転換を遂げることを予言しています。彼は農業の行く末を、以下の3つの仮説で説明しています。
① 「企業的農業」と「職人的農業」に二極化し、「普通の農家」は存続できない。
② 選択と集中が進み、農業生産はサプライチェーンの「歯車」になる。
③ 儲からない野菜がつくられなくなり、おいしい日本の野菜は消える。
久松さんが3番目の仮説を思いついたのは、対談の途中で「農業が産業化する国ではメシがマズい」という話をわたしが持ち出した瞬間だったと思います(第1章第3節)。
* * * *
久松:(戦後日本で農業改革が遅れた理由として)一次産業にも優秀な人材やネットワークはあったはずです。農業という産業そのものに起因する課題もあったのでしょうか?
小川:(欧米と比べて)食へのこだわり、食べているもののバラエティの違いじゃないでしょうか。バラエティ豊かな日本の農業が、日本人の食の豊かさを支えている。それは、特定の品目や品種に生産を集中させて規模を拡大することの阻害要因になります。逆に言えば、農業が産業化するには、米国のように供給するアイテムを絞り込むことをマーケットが許容できないといけない。乱暴に言えば、農業が産業化する国は、メシがマズい。
久松:味にうるさくないマーケットだと、生産・流通サイドの都合でアイテムを絞って産業化できる。
* * * *
1980年代に米国に留学したとき、加工食品への依存に驚きました。米国人は食事を楽しむのではなく、必要な栄養とエネルギーの摂取として食べていることを知ったからです。まるで牛や豚にフィード(給餌)するのと同じだと感じたわけです。
取材でたびたび訪問した農業先進国のオランダでも、同じ印象を持ちました。生産効率や長距離輸送でのロスを考えて、キュウリやトマトの皮は硬めの品種を選んでいました。その分、味は犠牲になります。いまのところ、日本はそれとは真逆です。しかし、将来的には、欧米並みに効率重視で野菜の品種を選ぶようになるのではないかと心配しています。
さて、久松さんの3つの仮説は執筆前の想定です。実際には、わたしを含む7人の有識者との対談で、仮説通りに、「日本からおいしい野菜が消える日」が到来すると結論づけたかどうかを確認するために、本書を購入してお読みになることをお勧めします。


コメント