(その39)「サンフランシスコで酒蔵」『北羽新報』2019年10月29日号

 地元新聞『北羽新報』のコラムは、ヨーロッパの花屋さん(青山フラワーマーケット@ロンドン店)、北京の国際花博ときて、今回はサンフランシスコに酒蔵を造った元院生、亀井紀子さんの話になります。米国人の旦那さんを杜氏にした清酒メーカーは、セコイアSAKE醸造所。

  「サンフランシスコで酒蔵」『北羽新報』2019年10月29日号  
  文・小川孔輔(法政大学経営大学院教授)
   
 1994年に経営大学院を創設してから、約150人の大学院生(修士と博士)をゼミ生として世に送り出してきました。25年間で教えた社会人学生の総数は1000人を超えていますが、特別に印象深い学生が何人かいます。そのうちの一人が、亀井紀子さんです。
亀井さんは米国ソニーに勤務していた女性で、10年前に法政大学のわたし研究室で、「抹茶カフェ」のビジネスを研究していました。卒業後は、都内でカフェの事業を起こするつもりでいましたが、人間の運命とはわからないものです。結局は、サンフランシスコでSAKE(日本酒)の醸造所をはじめました。
 酒蔵の名前は、SEQUOIA(セコイア)。米国西海岸で個人が独立して酒造りをはじめた最初のひとりです。開業後すぐに“SAKE”のサンプルを送ってもらいました。彼女とはその後もメールでやり取りをしていたのですが、今月になって再会する機会がやってきました。
 10月1日から一週間の予定で、サンフランシスコに取材に出かけることが決まったからです。著名な女性オーナーシェフ(アリス・ウォータース女史)にインタビューするためです。スケジュールはかなりタイトだったのですが、ツアーの案内役だった現地スタッフの女性に、亀井さんの酒蔵に連れていってもらいました。
  
 亀井さんご夫妻が経営している酒蔵は、サンフランシスコの中心部から約30分の物流倉庫エリアにあります。整理整頓がきちんと行き届いた工場内を、1時間ほど案内してもらいました。2014年に開業したセコイア醸造所は、サンフランシスコ市内を中心に約50軒のレストランやスーパーに日本酒を納めています。週に一回土曜日にのみ蔵を開けてテイスティングや小売をしているそうです。
米国内で販売されている日本酒は、卸の中間マージンが40%もあるのだそうです。レストランに直販したほうが儲かります。ちなみに、日本から輸入する清酒は、日本の小売価格の約3倍になるそうです。亀井さんはそこにチャンスがあると見て、米国で日本酒を製造して直販するビジネスを始めました。
 酒造りに使っているのは、カリフォルニア産の食用米(Calrose)です。サンフランシスコでは40年ほど前から宝酒造が現地で酒造りをしていました。米国留学中(1980年代)に、日系スーパーで買って飲んだことがありますが、恐ろしくまずかった記憶があります。セコイア醸造所の杜氏は、亀井さんの旦那さん。今年からは、カリフォルニア州の農業試験場の許可を得て、茨城県の酒米(渡舟)と同じルーツを持つCaloroというお米を地元の農家に作ってもらっています。品質がさらに良くなる可能性があります。
 クラフトビールが全盛の米国では、日本と違って醸造免許がすぐにおります。ただし、都市部で地価が高騰していますから、工業団地のリース料が高く、水道や設備関係の工事費が予想以上にかかってしまいました。事業に投じた資金は、日本でコンビニエンスストアを一店舗開店するのと同じくらい高額だったようです。
 それでも、3年目には販路開拓に成功。いまでは自分たちの給料が払えるまで事業は成功しています。セコイアブランドの日本酒は、原酒、生酒、にごり酒の三種類。利き酒をさせてもらいましたが、3年前に飲んだサンプル酒よりかなり美味しくなっていました。
  
 「全米で日本酒の事業展開は考えていないのですか?」との質問に対して、すこし躊躇してから、「当面はフランシスコだけで商売を続けていきたいです」(亀井さん)。リスクをとって事業に挑戦してきたことを考えるともったいない気もしますが、亀井さんご夫妻の年齢(50代)を考えると、無理はできないのかもしれません。
 ハーフボトル(375ml)での販売が、全生産量の90%を占めています。地元のレストランでの販売価格は$30-35ドル(約4千円)。結構な価格ですが、「ラーメンや寿司と一緒に冷やで飲むので、この値段でもふつうに売れています」(亀井さん)。
 おもしろかったのは、週末に独立のシェフに醸造所を貸し出していることです。天井が高い醸造所の中には、30席ほどのテーブル席があります。シェフたちはケータリングした料理を、酒蔵のなかでお客さんたちに振る舞うのだそうです。貸し出しの最低保証が500ドル(約6万円)。自然に生まれた事業機会のようです。弟子たちが海を越えて活躍しているのを見るのは、教師としてうれしいものです。