(その54)「江戸時代に回帰する?日本の食文化」『北羽新報』2021年1月29日号

 江戸時代の食文化を研究している大久保洋子先生(実践女子大教授)の書籍に触発されて書いたコラム。江戸時代は、日本流のファストフードが誕生した時代。その背景については、ブログの書評(『江戸の食空間: 屋台から日本料理へ』講談社学術文庫)でも詳しく紹介しています。

 
「江戸時代に回帰する?日本の食文化」『北羽新報』2021年1月29日号
 文・小川孔輔(法政大学経営大学院・教授)

 

 2019年秋のことです。両国にある「江戸東京博物館」の本屋で、一冊の本を手に取りました。大久保洋子著『江戸の食空間:屋台から日本料理へ』(2012年、講談社学術文庫)です。著者の大久保先生(実践女子大教授)は、江戸の食文化に関する著書がたくさんある方です。今日のコラムは、大久保先生の本の解説と江戸の食文化についてです。
 ずいぶん前から、江戸時代の町人や武士たちはどんな食生活をしていたのか、とても気になっていました。「江戸の町人たちは、手軽に屋台で食べられるファーストフードを楽しんでいた」というのが先生の結論でした。和食の原型は、江戸時代の町人たちが食べていた寿司や天ぷら、そば・うどん、鰻のかば焼きなどに源流がありました。納得です。
 屋台で食べる簡便な料理が、260年間続いた徳川幕府の治世で完成したのです。江戸の豊かな自然と安定した政治状況が、独自のファーストフード文化を育んだのです。当時の江戸の人口は約100万人。世界に誇るリサイクルシステムも持っていました。

 

 本書の中では、寿司や天ぷらの起源が紹介されています。天ぷらは、東京湾で獲れた新鮮な魚(キスやヒラメ、カツオやマグロなど)を串にさして、水に溶いた小麦粉をまぶしていたものです。屋台の鍋でさっと油であげる調理法は、江戸の庶民の発明でした。
 寿司の起源も同じです。関西の「押しずし」を、江戸の町人が「握りずし」に変えたのが始まりです。にぎり寿司に道具は不要です。にぎりであれば、寿司ネタのサイズも選びません。簡便な道具(手)と保存調味料(酢)で十分です。
 ただし、江戸前のそばの登場は、天ぷらや寿司とはちがっていました。なぜなら、江戸っ子の気の短さ(食べ方)と調味料(出汁と醤油)の登場を待たなければならなかったからです。いまでも関西はうどん優位、関東はそば優勢です。東西の食文化のちがいは、醤油の違いから来ています(濃口と薄口)。野田でキッコーマンが、銚子でヒゲタ醤油が生まれなければ、関東圏でそばが普及することはなかったと思います。練馬大根のようなおろし大根と鰹節(出汁)なしにはそばは誕生していないでしょう。

 

 独自のファストフード文化が生まれたのは、江戸っ子のお祭り好きの気質にもよります。江戸文化の根底には、花火大会やお祭りごとがあるようです。人が集まるところに屋台が繰り出し、テイクアウトをして片手で食べる寿司や天ぷらへのニーズが生まれたのでした。
 翻って、いまの日本人の食生活を考えてみましょう。鎖国を解いてから、日本人は洋風の食事を摂るようになります。それまで食べなかった肉を食べるようになります。主たるたんぱく源が、大豆由来の豆腐や納豆から、牛豚鶏の肉類に変わります。日本人の体は大きくなりましたが、野菜の摂取量が減少して、乳製品や糖分が増えていきます。肥満や生活習慣病のリスクが増えていきます。
 もしかすると、現代人は江戸の食事に回帰していくべきなのかもしれません。大豆たんぱくの見直しや野菜を中心としていた江戸の惣菜への回帰です。そこにどのような美味しさと見た目の美しさを付加していくか?江戸の食空間に、150年前に欧米からもたらされた食文化を、日本の伝統料理に付加できるのか?そこにチャレンジがあるように思います。