気が付いてみると、この連載が79回目になっている。わが人生も手じまいの時期を迎えている。数日前にブログに書いたことを、昨日は友人たちに転送しておいた。数人から返事が戻ってきた。わたしは遺産相続で骨肉の争いを見てきたから、このコラムを残しておく気持ちになった。遺産相続は、下手をすると人間関係を台無しにしてしまう。悩ましいことだが、、、
「遺言状のデータ更新」『北羽新報』2023年3月27日号
文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)
昨年の7月に、3人の子供たちに向けて、手書きで遺言状を書きました。友人の弁護士などには一切相談をしていません。法律の知識に疎い人間なので、手書きのものが法的に効力を持つものなのかどうかは、わたしにはよくわかりません。
今年からは、財産目録とその行先を、電子的な記録の形で保存しておこうと思っています。学者が主たる仕事でしたから、大した金額が残るわけではありません。それでも、不動産や金融資産(預貯金や株式)、自分所有の会社(継承権)や知的所有権(書籍の印税など)を、子供たちの誰にどのように配分するのかを仕分けして、記録として残しておきました。
研究者だったこともあり、お金に関しては頓着なく生きてきました。人並みに生活できるには、老後の資金として最低2千万円が必要のようです。メディアの報道でよく耳にする情報です。しかし、自分の稼ぎがどれくらいなのかは知っていますが、老後の蓄えについて、ほとんど考えることがないまま70歳を迎えてしまいました。
昨年の春、定年退職で年金の受給者になりました。自由な時間が持てるようになったので、身辺の整理もかねて財産目録を作成してみました。財産分与については、慎重に事を進めています。というのは、身内や友人たちを見ていると、両親のどちらかが亡くなった後で、財産分与で揉めている場合が多いからです。折り合いがつかずに、裁判に持ち込まれるケースも少なくありません。
わが友人には、日本一の大金持ちがいます。一代で株式時価総額1兆円を超える資産を蓄えた知人もいます。親の会社を承継して、数千億円を超える資産を得る予定の友人が数人います。幸か不幸か、彼らは必死になって親が生きているうちから相続対策をしています。興味深い事例としては、社内に相続対策の「事業承継チーム」を組織した会社もあります。それでも、兄弟が複数いる場合は、相続で問題が拗れてしまうことも多々あります。
ところで、相続で家族が争ってしまうのは、両親が残していく財産の多寡が問題ではないようです。骨肉の争いに発展するは、親の方に責任があるように思います。あえて遺言を残しておかないのは、自分が死ぬ直前まで子供たちにある種の影響力を行使したいと考えているからのようです。気持ちがわからないでもないですが、財産分与の方式を明示しないまま亡くなってしまうと、子供たちに迷惑がかかります。
遺言状を書こうと思い立ったのは、財産をめぐる不幸な顛末をたくさん見てきたからでした。わたしの場合は、3人の子供たちとその連れ合いたちも、それぞれ仲良く暮らしています。しかし、人間はいざというときに心変わりをするものです。
誰が見ても公正な財産分与を宣言することにしたのは、昨年の7月末でした。そこからもうすぐ一年になります。コロナの3年間でお金をあまり使わなかったので、世間並みに「コロナ貯金」が積みあがりました。7月には、財産目録の修正を行うつもりでいます。
遺言状を毎年更新することにしたおかげで、良いこともありました。自分の資産状態の変化を具体的にデータで把握できるようになったからです。あと少しの間は、健康なままで生き延びたいと思っています。当面は、遺言状のために作成した財産目録は、現状の資産を把握するために役に立ちそうです。