【柴又日誌】#107:父と母の影

 70歳を過ぎたころからだろうか、両親が夢によく出てくるようになった。ふとした瞬間、2人が縁側や寝室に座っていて、わたしたち兄弟に話しかけている姿に出会う。父の小川久は、1981年に60歳で亡くなっている。糖尿病由来の脳溢血だった。母親のワカさんは、コロナ前の2019年に他界した。不運な火災事故で、享年89歳だった。

 

 わたしは、退職後のいまでも忙しい日々を過ごしている。それでも、大学で教鞭をとっていたころよりは、一人でいる時間が断然に増えた。ぼんやりしているときは、自分の意識が50~60年前に戻っていることが多い。この先に残り少なくなった時を、誰とどんなふうに過ごそうかと考えている。

 そんな空白の時空間にいると、両親や祖父母の声がふとぼんやりした時の隙間に忍び込んでくる。子供や孫たちは、いつもわたしのそばにいる。日常なので、そこを改めで意識することはない。

 しかし、遠い時間の彼方にいるはずの両親や祖父母、世話になった伯母とのかつての会話が、隙間の時間にわたしの意識を占拠してしまうことがある。移動時間の車窓から外の風景を眺めているときや、散歩の時間に立ち止まって、土手や公園のベンチに腰かけているときにそれはよく起こる。

 

 ずいぶんと昔になくなった肉親や親しかった友人たちは、うすいグレーの影に包まれている。わたしの意識の中では、彼らは年齢を重ねることなく、亡くなった年のままで生きている。両親もそこで時間が止まっている。それでは、わたしの場合はどうなるのだろう。

 両親が夢に現れたり、白日夢から声をかけてくるのは、わたしの老い先が短くなった兆しなのだろうか。よくわからないが、きっと、何かがこの先に起こる予感がする。それは、わたし自身の身にかかわることなのか。それとは、肉親や友人たちに降りかかる事件なのか。

 かつしか文学賞の応募作品の中で、子供のころの思い出話をたくさん書いたことがきっかけなのだろうか。父も母もまだ生きていて、わたしとまた再びの時間を共有したがっているのかもしれない。父親と母親のことは、私小説の中に何度か登場させてみた。それだからだろう。ふたりのことを書きながら、忘れていたことを思い出していた。

 父と母の影が、わたしをやさしく包んでくれていた。また、両親に会いたいなあ。昨年の8月~9月にかけて、執筆の過程でそう思って何度か涙をこらえた。いろいろなことがあったが、わたしは両親や祖母、伯父や伯母たちが大好きだったのだった。