【柴又日誌】#197:お孫さんと寅さん記念館へ(穂高君の興味は、寅さんの仕事と生活ぶり)

 二世帯住宅で一緒に暮らしている穂高君(小学校3年生のお孫さん)が、少し前から「寅さん記念館」に行きたがっていた。寅さん記念館は、渥美清主演・山田洋次監督の松竹映画「男はつらいよ」シリーズ(48作品)をモチーフにした展示館で、葛飾区が管理して一般公開されている。入場料は、大人500円(シニア400円)、小中学生300円、就学前児童は無料である。
 記念館の建物は、柴又帝釈天参道の裏手にある。大正時代末期に建造された和洋折衷様式の「山本亭」(いまや庭園で国際的に有名になった)の隣接地にある。こちらも葛飾区が管理している建物である。
 
 
  穂高君のクラスでは、社会科の授業で、「昔の暮らし」や「昔の人たちのこと」を調べていたらしい。「少し前に、3年生の全クラスでバスを借り切って寅さん記念館に行ったようです」という話を、わたしたたちは母親のアズちゃんから聞かされていた。
 穂高が通っている住吉小学校は、各学年が3クラス。一クラスが28人なので、3年生全員で84人。バス見学のときは、先生やカメラマンなども一緒だったらしく、総勢で100人近くの大所帯での団体行動になったと思われる。
 周りくどい説明になってしまった。穂高君が「寅さん記念館に(もう一度)行きたい」と言い出したのは、バスツアーのときに、寅さんについてゆっくり説明を聞いたり、時間をかけて展示物(映画のセットや昭和の暮らし方)を見れなかったからだと思われる。
   
 本人に直に尋ねたわけではないが、「寅さんのことをもっと知りたい!」と穂高が言い出したのには、別の動機があるとわたしは睨んでいる。先月、小学校の行事で、葛飾区の「小学校対抗、かるた大会」が開催された。
 かるた大会の場所は、穂高の小学校の体育館。穂高は、3年生を代表して選手の1人に選ばれていた(代表選手は、3人×2チーム=6人)。残念ながら、穂高のチームは、優勝した小学校チームと3回戦で当たってしまい、1勝2敗で入賞できなかった(両チームの対戦を会場傍で見ていたが、優勝した相手チームの3人は圧倒的に強かった)。
 しかし、かるた大会では、「葛飾かるた」(葛飾区の風物を読んだ句)をたくさん覚えることになった。その中で「寅さんが駅で故郷(ふるさと)振り返る」という札を、彼はしっかりと対戦で自分の手中に獲得していた(笑)。
 明らかに、かるた大会で寅さんの句を覚えたことが、寅さん記念館を再度訪問したがった動機だろう。寅さん記念館がある柴又駅は、高砂の隣駅である。寅さん記念館に行きたいと言い出す前から、寅さん(渥美清)が生まれた場所(帝釈天)や、寅さんの仕事(テキヤ)、そして「なんで、寅さんが”ふうてん”と呼ばれているのか?」。穂高は寅さんの生活ぶりが気になっているらしかった。
  
 本日、わたしたち夫婦が在宅で、穂高君は学校が早帰りになることがわかっていた。妹の夏穂も、兄と一緒に寅さん記念館に行きたがった。そこで、かみさんがランチタイムが終わった頃合いを見計らって、保育園から夏穂を早退させて戻ってきた。
 ところで、4人で寅さん記念館に行くことは、数日前に決まっていた。電車で行くのか?歩いて行くのか? 電車ならば、一駅で2分。歩いて行くのならば、自宅から1KMほどあるから15分程度かかる。結局は、穂高の意見を尊重して、行きは徒歩でぶらぶら、帰りは電車で戻ることことにした。
 曇りで平日の午後の記念館は、すいていた。わたしたちを入れて、記念館の入場客は3組。これが2回目の穂高にとっても、初めての夏穂にとっても、寅さん記念館の見学は楽しそうだった。二人とも一生懸命に、寅さんの写真や50年前の街並み、昭和初期の柴又の生活ぶり(柴又の駅舎や金町線の人力電車、寅さんの家の台所やちゃぶ台、当時の商店街、タコ社長の印刷工場など)を眺めていた。
 穂高は、昔の人たちの生活や暮らしぶりなどを写真で撮って、自習用のタブレット(カメラ付き)に収めていた。彼は実に記録魔だ。写真を撮るのも上手。夏穂のほうは、柴又の古い街並みが気に入ったようで、盛んに商店の写真を小さなカメラで撮影していた。

 わたしがこの日にちょっと意外だと思ったのは、二人の孫の様子ではなかった。ふたりは、想像の通りに寅さん記念館を走り回って、「わんすけ、ここ出たら(出口から外に出たら)戻ってこれないの?」と、真剣に順路を心配していた。そうそう、意外だったのは、かみさんの反応だった。寅さん(渥美清)やさくら(倍賞千恵子)、マドンナたちに対してかみさんは、懐かしさを感じるとの言っていた。
 葛飾区の立石に生まれ、わたしと結婚して千葉に移るまではこの町で暮らしていた。ところが、かみさんは、「寅さん記念館に一度も来たことがなかった」と言う。そのことも知っていたし、寅さんを避けてきた理由も何となくわかっていた。しかし、驚いたのは、二人の孫と旦那(わたし)と一緒に記念館に来たことで、ふうてんの寅さんに俄然興味を持ちだした。 
 「わたし、寅さんの映画、いちど見てみようかな?」との帰り際にぼそっと一言。昭和の時代に戻って、どうやら懐かしさを感じているようだった。映画の「孤独のグルメ」を見るのもいいが、「男はつらいよ」を次回は鑑賞してみては?(笑)

 ところで、今ごろの子どもたち見ていて、とてもおもしろいと思った。実に、なんでもスマホやタブレットで写真を撮ってしまうことだ。穂高は自宅に戻ってきてから、母親に写真を見せながら、記念館で見たものを説明していた。説明がとても上手だった。
 夏穂と穂高は、帰り道で帝釈天参道で駄菓子屋に寄りたちと言った。参道の出口にある駄菓子屋は、レトロな昭和の設えになっている。駄菓子屋に入ってから、2人にそれぞれ100円ずつを渡した。ふたりは早速、店内をぐるぐる回って、自分が好きな駄菓子をミニバスケットに放り込んでいった。
 ところが、なかなか100円では、自分たちが買いたいお菓子が買えないことがはっきりした。駄菓子とはいえ、いまや一個78円と90円である。そこで、わたしは二人に100円玉を奮発した。それでも、合計で買い物の金額を200円にすることができない。結構、苦戦している。
 ようやくふたりは、3個ずつをバスケットに入れて、合計がそれぞれ193円と178円。おじさんにレジで精算してもらい、意気揚々と電車に乗り込んだ。夏穂は、チョコレートと飴を、穂高はラムネのようなものを買っていたらしい。
 そして、かみさんも、懐かしの「(あたり)前田のクラッカー」をかごの中に放り込んでいた。やっぱり、まさえさんは「下町のお嬢さん」だったではないか!    
 

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