正確な時期は忘れたが、子供たちが社会人になったころから、かみさんは都心の大手百貨店に勤務するようになった。最初のころは、お中元とお歳暮だけ、繁忙期のパート社員だった。数年後に「フェロー社員」の募集があって、10年ほど前からは準社員として働いている。いわゆる「お買い場」と呼ばれる店舗勤務ではなく、法人営業部門での採用だった。
いまは百貨店の定年が65歳になっている。今年4月に65歳の誕生日を迎えたので、彼女の百貨店勤務も5月で終わる。
去年の3月でわたしが大学を定年退職したのに続いて、かみさんも晴れてこの春で自由の身となる。子育てを「自宅での内勤」だとすると、わたしと結婚した20歳からだと、内勤と外勤を合わせて「勤続45年」ということになる。
3人の子供を育てる途中で、ヨークマートで花屋を任されるところからはじまり、最後は百貨店勤務で仕事を終えることになる。最後の職場になる大手百貨店では、仕事仲間に恵まれていた。実際に、親しい同僚の数人は、千葉に住んでいたころからわが家に遊びに来ていた。
高砂に引っ越してからも、自宅近くのお寿司屋さんや、鉄板焼き屋のお馴染みさんになっている。わたしもいつしか、その飲み仲間のひとりに加わっている。都心での会食に参加する機会は多くなかったが、最終日の5月10日にはめずらしく、わたしもかみさんの退職祝いのパーティーに加わることになった。
*この後の記述は、本人の検閲を終えていないので、私の記憶と推測による。不正確で事実誤認の可能性を排除できない。誤認識の節は、ひらにお許しいただきたい。
退職祝いのイタリアンには、百貨店の同僚だけでなく、古くからの友人も招待されているようだ。何人が参集するのはわたしは知らされていない。漏れ聞いた情報によると、招待客のリストの中に、わたしの知っている名前もあるようだった。彼女の友人には、1990年代に流行っていた「パソコン通信」(ニフティ・サーブ)の時代に知り合った仲間が思いのほかに多い。
百貨店勤務になってからは、会社の合併などもあって、法人部門内で職場がときどき変わっていた。家での会話の中でしばしば登場する人たちは、すでに退職している、かつての同僚が多そうだ。わたしには、いまの仕事仲間との昔の仲間との区別がつかない。
夫婦の会話とは、そんなものだろう(笑)。お互い様だから。右から左に、とはいえ、こういう発言はふだんから情報がスルーしては消えていることがばれてしまう。
わたしは、退職してからも新しいことに取り組んでいる。本田署の消防団員、お城マラソン、わさびの栽培プロジェクト、神田小川町でのオフィス開設、小説家への転身(私小説の刊行)など。かみさんもわたしと同様に、退職後にやりたい目標があることを知っている。
まあ、あまり気張らずに、当面は「ハローワーク」で職探しをするのもいいだろう。半年くらいは、失業保険とわたしの会社からの給与で暮らすことができる。そのうちに、孫のお守りの役割は終わるだろう。全国各地に散っている、昔の友人を訪ねるのもいい。
これまでは、子供と旦那の世話で忙しくできなかった目標(『マギーさんの料理帖』)の完成も、皆さんが待っていることの一つだ。多趣味なかみさんは、資格人間でもある。フラワーアレンジ、着付け、裁縫の国家資格を持っている。料理などはセミプロ級である。なんでもできる。
でも、旦那としてやってほしいことがある。それは、昨年亡くなった作家の石原慎太郎の奥さん(石原典子さん)のように、女子大生になることだ。本人も、まったくその気がないわけではないらしい。
わたしたちは、授かり婚で、駆け落ち婚だった。本人は「勉強があまり好きではなかった」とおっしゃるが、わたしよりはIQがかなり高かったことを知っている。社会人入試という制度がある。有名女子大の門が、事情によりいまは広めになっている。入学金や授業料は、まず問題ないだろう。
心配することはない。わんすけ先生は、退職後も変わらずに、そこそこ稼いでいる。
京都と神戸には、子供と孫たちが住んでいる。京都の娘のところには、部屋付きの家もある。京町屋風の娘の家から、京都の女子大に通学することだってできる。
関西の大学で勉強するのがいやならば、東京の大学でもよい。わたしの教え子が教えている大学は、関東だけで10数か所はある。入学試験はなんとかなるだろう。不正な手段をつかう必要などない。実力で立派に入試に合格できると思う。
押しつけがましいことを、いまさら言わなくてもよいだろう。勉強嫌いだった元女子高生が、定年後に再度大学の門をたたこうと思うかどうか?そんなことは本人が決めることだ。でも、65歳の新人女子大生は、71歳の新米消防団員と同じくらいかっこいい、と旦那は思う。