【柴又日誌】#24 白井の南庭に、オリーブの木を植える

 3連休の初日、白井の旧宅に戻って来ている。いまや白井の家は、わたしたちにとって、築35年の静かな別荘に変わった。毎週末の早朝、かみさんは自分の車を運転して白井に戻る。約一時間をかけて、近所の友達と競馬学校まで散歩するためだ。ウォーキングコースは約5KM。今日に限って、わたしも一緒に田舎道をてくてくと歩いた。雨上がりの清々しい空気。気持ちが晴れ晴れとする。

 

 33年間ここに住んでいたが、JRAが運営している白井競馬学校まで歩くのは、今日が二度目である。市川のマンションから白井の一戸建てに移ってきた直後に、男の子たちふたりを競馬学校に連れていった。まだ競馬学校で騎手の見習いをしていた武豊を見にいった記憶がある。

 市川に住んでいたころ、長男は犠牲者だった。しばしば勝馬投票券を買うため、バギーに揺られて中山競馬場に連れていかれたからだ。3歳にしてイニシエーションを受けた長男は、いつしか競走馬の騎手にあこがれるようになった。しかし、中学校の部活でバスケットボールをはじめると、すぐさま身長が175センチを超えてしまった。

 ご存知のように、ほとんどの騎手は小柄で、身長は155~160センチ程度。細くて短茎である。競馬のレースには、ハンディキャップがある。強い馬の負担重量を調整するために、騎手たちは痩せなくてはならない。軽量級のボクサーと同じだ。そんなわけで、スラムダンクに宗旨替えした長男は、中央競馬会の花形ジョッキーになる夢を叶えることができなかった。

 いまは神戸の総菜メーカーで、サラダやコロッケの商品開発をするシェフをしている。それはそれで、料理好きだった彼にとって幸せな進路選択であったとは思う。結果的には、すごくk美味しいものを食べさせてくれるので、ずいぶんと親孝行息子ではある。

   

 それにしても、こんな風の強い日に、かみさんとふたりで田舎道を歩くことになるとは思わなかった。ふたりだけなので、話しながら歩くことになる。少し前に競馬学校の移転話(千葉から長野への全面移転)があったことを知らされた。普段の会話では絶対に出てこない話題だ。

 20年くらいの間に、町の風景がどことなく変わってしまっている。競馬学校に続く道は、その昔、白井ウオークラリーに家族総出で歩いた道だ。そういえば、第二回のラリーでは、小川家が白井町のチャンピオンになったこともあった。長女がつけたチーム名が「花雀」(花と麻雀の合成語)。花業界に首を突っ込んだ矢先のイベントだった。

 今朝は、かみさんがいつも通っている、竹やぶや小さな流れのある裏道を歩いた。田舎道ゆえ、近所の農家には塀がない。庭先では梅が咲き始めている。わが家の庭にも小さな梅の木があって、微かにいい香りを放っているらしい。”らしい”と書いたのは、花粉症の私の鼻がバカになっているからだ。かみさんに教えられて、庭の梅に香りがあることを知らされた。

 道端には、梅の花以外にも、椿やモクレンなどの花木類が、そろそろ開き始めそうな蕾をつけている。来週またここに来れば、あの花たちが満開になっているかもしれない。長く住んでいたが、忙しさにかまけて周囲の風景をじっくり眺めてみることなどなかった。近々にまた来てみよう。

 

 一カ月ぶりで急遽、白井に戻ってきたのは、旧宅の南庭にオリーブの苗を植えるためである。去年の暮れに、三豊園芸(香川県)の前川さんから、オリーブの幼苗を5本ほど宅配便で送ってもらっていた。「2月か3月になったら、ポットから出して地植えしてくださいね」とのアドバイス。もう二月も下旬になっている。植え替えを急がねば。

 先月は、香川県の三豊市にある現地農場(3つの前川農場)を訪問させていただいた。その折に、花粉が付きやすいオリーブの小さな苗木を2本、前川さんが温室の奥から取り出してきた。手渡しだったので、そのまま飛行機で手荷物にして東京の自宅に持ち帰った。そのうちの1本と、暮れのうちに届いた苗木を4本、先ほど南庭に隣り合わせて植え終わった。

 「苗木の種類がちがうので、花粉がついて、たくさん実がなりますよ」と前川さん。どことなく自慢げに話してくださった。きっとわたしの急な訪問の知らせをもらって、わざわざ苗木を準備してくれたにちがいない。こちらはといえば、丸亀ハーフを走るために、勝手に農場に寄らせてもらっただけなのだが。

 

 そんなわけで、白井の旧宅の南庭にオリーブの苗木を4本植えた。高砂の新居用に、あと4本ほど残っている。これから帰宅して、北側の玄関と南庭に、これらもまた隣り合わせで植えるつもりだ。先ほど植えた苗には、移植後に水やりをしてやれていない。高砂からもってきた苗は、のどが渇いているはずだ。階下に降りて行って、たっぷり散水してあげよう。

 オリーブの花が咲いて、たわわに実をつけるまでには、何年の月日を待つことになるのだろう。5年から10年?もっと早く実がならないと、わたしたち老夫婦がこの世から消えていなくなってしまう。

 友人から聞いたところでは、オリーブは隔年で実をつけるらしい。表と裏があるからだという。そんな根拠が怪しい話を宴席で話したら、「そんなことはないですよ。毎年、たーくさん、オリーブは実をつけますよ」と前川さんが笑った。わざわざ花粉が付きやすい種類の苗を、飛行機で帰る客に持たせてくれたのは、あの素人発言に原因があるように思う。

       

 今朝、出がけに高砂の家の玄関ポーチに、残りの苗を置き去りにしたまま出てきた。私の帰りを待っている苗たちを、そろそろ帰って植え替えてあげようかと思う。春一番が来たのだろうか。散歩の後は、外では強い風が吹いている。

 かみさんが、「むこたま」(たまご屋さん)と「遠山珈琲」(コーヒー豆屋さん)の買い物から戻ってくる。二階の旧仕事部屋でブログを書きながら帰りを待っている。そろそろ一時間が経過している。

 かみさんが戻ってきたら、赤いコンバーチブルの屋根を外して、水戸街道(6号線)を飛ばして帰ることにしよう。風がやんで、少し日が差してきた。娘たちから、「そろそろ、お父さん、免許証を返上したほうがいいのでは?」と言われ始めている。

 そんなことを言わせないぞ。コペンはかみさん所有の車だから、いつもは彼女が運転して、わたしは助手席に座ることになっている。でも、たまには、わたしがハンドルを握ってみることにするか。