【柴又日誌】#52:命日と誕生日

 昨日は、3年前に亡くなった実母の誕生日だった。命日は4月1日で、誕生日は8月11日。数日前に、白井市の小田川梨園さんから、板橋に住んでいる妹の道子宅に、暑中見舞い代わりに梨を手配してあった。昨日の午前中に、道子から受領のメールが届いた。それと一緒に、「兄さん、今日はワカさんの誕生日よ」と、8月11日が母親の誕生日であることを教えてもらった。

 

 うっかりすると、母親の誕生日を忘れてしまう。いや、昨日もそうだった。実際に忘れていた。道子に言われてはじめて気がついた。「夏のいつごろだったかな?」くらいの感覚になっている。

 40年前に60歳で亡くなった父親(久さん)の誕生日は、いまや完璧に忘れてしまっている。ただし、久さんの命日のほうは、きちんと覚えている。10月20日である。こちらは、久さんが亡くなったのが、わたしの誕生日(10月23日)の直前だったからだ。

 道子からワカさんの誕生日をリマインドされたので、昨日は、ちょっとセンチメンタルな気持ちになった。誕生日を忘れてしまっていることに対する反省である。夕方、運動がてら、電動アシスト自転車で水元公園まで行った。それだからではないが、帰り道に、新柴又のお菓子さん「ビスキュイ」に寄って、ケーキをふたつ買って帰った。

 食事の後、かみさんとふたりで、ワカさんの誕生日(8月11日)を祝いたいと思ったからだった。ちなみに、かみさんは、わが母の誕生日をしっかりと記憶していた。母親の生前も、嫁の立場からいつも気にかけて暮らしていたからなのだろう。ありがたいことだ。

 

 ところで、昨日は、ある偶然が起こった。元大学院生の徳永奈美さん((株)アクア社長:100円パンの会社「ブーランジェベーグ」を運営)から、娘さん(三貴ちゃん)の赤ちゃんの写真が送られてきた。午前中に、無事に2番目の女の子が誕生していた。徳永三貴ちゃんは、法政大学経営学部の卒業生である。わたしが就職の世話をしてあげたこともあり、徳永家とはその後も家族ぐるみで仲良しの関係にある。

 赤ちゃんの写真をスマホで確認したあと、奈美さんにはすぐに返信した。「おめでとうございます(祝)。3年前になくなったわたしの母親ワカさんと、同じBirthDayです」と。「8.11。生きていれば、92歳」。奈美さんからは早速に返事が戻って来た。「呉服屋の立派な女将さんだったのですよね」。確かに一時的ではあったが、羽振りの良い地方の呉服屋の女将だった。

 しばらくして、三貴ちゃんからも、わたしのlineに赤ちゃんの写真が送られてきた。奈美さんに返したのと同じこと(8.11の今日がわが実母の誕生日)を伝えた。生まれたばかりの赤ちゃんは、ワカさんの生まれ変わりにはならないだろうが(笑)、三貴ちゃんへの返信には次のように書いた。

 「成績優秀で女傑になりますよ」。赤ちゃんはきっと幸運に恵まれるだろう。聡明な母親とよく働く旦那さん。きっと本当にそうなるだろう。

 

 夕暮れで曇り空。江戸川の土手の上は、やわらかな風が吹いていた。自転車をこぎながら、なんだか悲しくなった。不覚にも涙がこぼれそうになった。

 そうなのだ、連れ合いを早くに亡くした晩年の母親は、商売でかなり苦労をしていた。そして、わたしはといえば、母親になんの救いの手も差し伸べることができなかった。わが弟で三男坊が、呉服屋を継承したからだった。兄のわたしは余計なことは言うまいと心に決めていた。

 それが良かったのか悪かったのか。いまでもよくわからない。しかし、それ以外に道はなかっただろう。でも、はっきりしていることがひとつだけある。この先、わたしが生きている限り、ワカさんの誕生日は忘れないようにしよう。そう心に留めた。