【柴又日誌】#116:紗楽さんと諒くんが新幹線で神戸に戻る。

 突然の連絡だった。5月3日、文化の日。「いまから高砂に行くから」と新幹線の中から長男の由くんからLINEに連絡が来た。2時間後に、京成高砂駅まで3人を迎えに出た。2泊3日の嵐のような滞在だった。由くんは紗楽さんと諒くんを引き連れて、下りの新幹線で東京駅から神戸に戻っていった。

 

 5月3日のブログに書いたように、神戸組の3人にとって、今度の上京は「リベンジ帰省」だった。コロナの3年間で2度、東京に来ているのだが、そのうちの一回は、わたしの最終講義に参列するためだったから、わずかに一泊。

 最後の滞在は、去年の暮れの12月29日から正月3日まで。長いように見えるが、実際は、3人が寝込んでいたので、お孫さんたち4人が遊べたのは、到着したその日(29日)のみ。あとは、1階の神戸組と3階の高砂組は、隔離生活が続いていた。

 このときは、神戸組(紗楽さんと奈緒さん)がコロナを発症。かみさんも、さらからウイルスが移転してコロナ初体験。わたしと諒君だけが無事ではいたが、暮れからわたしが料理人を任されることになった。とんだ年末と新年になった。

 今回は、そのリベンジ帰省だった。

 

1.5月3日(文化の日)

 午後18時に3人が高砂到着。ところが、今度は、孫たちが4人で遊ぼうと楽しみにしていたのに、夏穂が39度の熱を出してしまった。夕飯は、わが夫婦と神戸組の5人だけになった。

 夕食後は、5人でUNOを遊ぶことになった。由君が、4回中3回もびりに。めずらしい。いつもは、その役目(UNOの鴨さん)は、わんすけ先生が引き受けている。旅の疲れもあって、早々と就寝になる。そうそう、諒君とわんすけさんは、しょうぶ湯に入る。

 

2.5月4日

 午前中から、お客さんが来る来ないにかかわらず。わたしとかみさんは車(コペン)で、白井市の旧宅の庭の草刈りに行くことになっていた。朝8時には、白井の家に到着。わたしは早速、マキタの自動草刈り機で草刈りを始める。

 神戸組3人と次男の家族2人(真継と穂高)が、遅れて車(フリード)で到着。わたしの草刈り作業は1時間で完了。かみさんは、宍倉さんと競馬学校までウォーキングへ。帰宅後には、朝食の準備をはじめる。

 その後、お孫たち3人と由くんと一緒に、わたしは旧富士中グラウンドまで「鯉のぼりの展示」を見に行く。わたしたちが、祖昔に白井市に寄付した鯉のぼり3体が、吹き流しになって泳いでいた。由くんは、自分たちが寄贈した鯉のぼりを、到着するや即座に発見。グラウンドでは、ちょうどお祭りをやっていた。サッカーボールを蹴って遊んでいた3人は、ピンボールゲームでお菓子と風船をいただけることに。

 その間、真継君は、庭の自分の小屋(旧の部屋)にあるガラクタを片付ける。そのままフリードで帰宅。夏穂を病院に連れていくため。かみさんは、むこたま(たまご屋)と市川大野の「ひさごの餃子」を経由して高砂に戻る。

 由とわたしは、夕方の焼肉パーティーのために、帰宅後に藤森畜産とライフ(水元公園店)までショッピングへ。焼肉用のスティックカルビ(300g)と国産牛肉(300g)、豚と牛の合い挽き肉(1KG)。ライフでは、各種野菜と真鯛の1本などを買い込む。

 

 午後16時から、わたしと神戸のふたり(紗楽と諒)で、南庭のウッドデッキを塗装。去年につづき、塗ったペンキの色はピンク。実は、穂高と夏穂は紫色に塗りたかったが、ピンク色がもう1缶そのまま残っていたから、在庫整理のためピンクに。ちなみに、真継君がケルヒャーで、ウッドデッキの表面を水洗いしてくれていた。

 夕方からは、やや咳が残っていた夏穂も参加して、3世帯合同の焼肉パーティーを開催。本来は、3家族9人でUNOをやるはずが、それは最終日に延期することに。お孫さんたちは、最後までトランプとお絵かきで遊んでいた。

 パーティーのメニューは、わたしのインスタで見ることができる。圧巻は、シェフ由さんが1時間半をかけてオーブンで焼いた「丸ごと新玉ねぎのロースト」。真鯛の塩汁、長ネギを添えて。

 

3.5月5日(こどもの日)

 朝からわたしは、ウッドデッキの二度塗りに挑戦。途中で穂高と諒が参戦。1時間で完了。時間はまだ朝8時。

 お孫さん4人が揃ったところで、2日前から準備しておいた、團十郎朝顔のタネをプランターに播種。まさえさんが、玄関ポーチの花がら積みを担当。わたしは、時間があればと思い、前日にビバホームで土を購入しておいた。まさか、神戸の2人も團十郎の播種に参加できるとは、、、

 神戸の由さんちにも、團十郎のタネをプレゼントした。神戸にもどったら、マンションのベランダに植えることになりそうだ。どちらが先に咲かせることができるだろうか?

 というわけで、12時台の新幹線で、3人は神戸にあわただしく戻って行った。わたしたちは、高砂の駅までお見送りに。なんとも、あわただしい3日間だった。それでも、リベンジ帰省は見事にできたようだ。