日曜日の荒川河川敷のレースから、2日間走れていなかった。昨日の夕方は、外気温4~5度。外は冷え冷えだったが、週末にハーフマラソン(静岡大井川トライアル)が控えている。億劫ではあったが、夕方5時ごろに、江戸川の土手まで走ってきた。
柴又帝釈天裏から土手に昇り、一直線に北総開発鉄道線の鉄橋下まで走った。高架下で新柴又から矢切駅まで走っていく京成電車を見送り、いつものように土手の上から東京スカイツリーを西に望んだ。夏至が過ぎると、夕陽はスカイツリーの北側に落ちていく。
「落日燃ゆ」。西の空が真っ赤に染まっている。満州事変のときに首相だった廣田弘毅の生涯を描いた城山三郎の小説。極東裁判で死刑判決を受けた7人のうち、元首相で外務大臣を兼務していた広田は唯一人の文官だった。
定年退職まで残り2ヶ月。落ちていく夕陽を見ながら、法政大学に就職してからの46年間を振り返る。この大学のために、そして日本国のために、わたしができることがもっとあったのではないのか?
広田弘毅の生涯に、自分の軌跡はどこか似ているのではないか?直近の20年間、自分のためでもあったが、世の中のために粉骨砕身で働いてきたつもりだった。しかし、やり残したことや、あと一歩で実現できなかった夢もあったような気がする。
自分が大学を離れるということは、そこに残してきた弟子や学生たちに、もう二度と手を差し伸べることができなくなるということだ。この季節の落日を、土手を走りながらいつも見てきた。落ちていく夕陽は、明日になればまた朝日になって戻ってくる。しかし、それを見ている自分はもうそこにはいない。
絞首刑になった広田もその立場だったのだろう。時間が元に戻ってくることはない。広田は、死刑宣告の判決に対して、一切の弁明をしなかった。とはいえ、戦況が悪化していくときに、本人は軍に押されてなんの手も打つことができなかった無念。
その無念さを抱えながら、広田は黙して墓場に行った。二度と朝が巡り来ない落日を見ながら。