3月8日のミモザの日、「ファッションセンターしまむら」の創業者、島村恒俊オーナーは、98歳の誕生日を迎えた。『しまむらとヤオコー』(小学館、2011年)を刊行して以来、3月8日の誕生日には、毎年のようにバラのブーケを送っている。今年も、HitoHanaさん(「Beer&Tech」の森田憲之社長)に頼んで、島村さんが好きなバラの花束を贈った(*添付の写真)。
<誕生日は、ミモザの日>
誕生日には、最初のインタビューの翌年(2009年3月)から、島村オーナーにバラの花束を贈り続けている。埼玉県吉見町のご自宅で取材した際(2008年春)に、オーナーが庭でバラを育てていることを知ったからである。バラのプレゼントは、今年で16年目になる。
昨年(2023年)の3月8日は、島村さんから携帯に直接、電話が掛かってきた。97歳のオーナーがわたしのメッセージを見て、ご自宅から電話をかけてくださったようだった。
その前の年(2022年)は、実娘の北村さんから連絡が来た。電話の隣に島村オーナーが座っているらしく、娘さんがオーナーに受話器を手渡してくれたようだった。やや早口で、わたしに花束のお礼をしてくださった。元気なご様子だった。
ところが、今年は島村さんからも娘さんからも、電話での連絡がなかった。今年でオーナーは98歳になる。ご本人の健康が心配だった。花束を贈ったわたしが直接、ご自宅に電話をするのも気が引けたので、「いずれは連絡があるだろう」と思い、そのままにしていた。
<宅配便でお菓子が届く>
誕生日から5日たった昨日(3月13日)、宅急便でわが家にお菓子が届いた。「虎屋の羊羹」の詰め合わセットだった。わたしが甘いものが好きなことを、17年前のインタビュー(「連載:小川町経営風土記」『チェーンストアエイジ』2008年~2010年)の中の会話で覚えていらしたのだろう。
娘さんからのメッセージが添えられていた。お菓子の中にさりげなく添えられていた封筒には、「小川孔輔 様」とあった。封筒の裏に、「北村〇〇」(島村恒俊 長女)と書かれていた。ほっと胸を撫でおろした。オーナーは、無事に98歳の誕生日を迎えることができたらしい。
きれいな筆跡の手紙だった。書道のたしなみがあるのだろう。実は、初めて電話で話したときに、北村さんご本人が、フラワーアレンジメントの先生だと知らされていた。
草木が芽生え始め 待ちかねた春の訪れです。
その後 お変わりありませんか。
先日は 父の誕生日に素敵なお花を
頂戴しまして ありがとうございます。
お部屋が華やいで 父もとても喜んで
おりました。
お陰様で 父も98歳を迎えることが
できました。体調万全という訳には
参りませんが 食欲もあり元気に過ごして
おります。
本日は 心ばかりのお品をお送りさせて
頂きます。ご笑納くださいませ。
(後略)
<人とのご縁を大切に>
商業誌『ダイヤモンド・チェーンストア』での連載(「小川町経営風土記」月2回)が決まったのは、2007年12月31日の偶然がきっかけだった。その出会いがなければ、その後に藤原秀次郎会長(当時の2代目社長、現取締相談役)に出会うこともなかっただろう。
その日のことは、本ブログの記事に詳しく書いてある(小川町・児玉町訪問記録(児玉店7号店跡地、ファッションセンターしまむら小川店) | 小川先生 のウェブサイト (kosuke-ogawa.com))。
島村オーナーと話すことができたのは、その年の大みそかの夕刻に、「ファッションセンターしまむら小川町店」で、伊藤孝子さんと出会うという幸運が恵まれたからだった。すでに第一線を退いていた島村オーナーを紹介して下さったのは、旧児玉7号店の伊藤孝子店長だった。
そこから、小説風の「小川町物語」がスタートすることになった。推理小説を執筆するように、わたしは人口3万6千人(当時)の片田舎の町、埼玉県比企郡小川町から、東証1部上場企業の2社(しまむらとヤオコー)が誕生するまでのプロセスを書き下ろしていった。
雑誌で連載を始めることができたのは、偶然のなせる業からだった。物書きとして全くの素人だった小川に連載を任せてくれたのは、ダイヤモンドフリードマン社の千田直哉編集長の決断によるものだった。人との縁がきっかけで、仕事はやってくるものだと知った。
これほど長く、島村オーナー(しまむら創業者)や川野幸夫会長(ヤオコー2代目社長)とのお付き合いが続くとは、当時は思ってみなかったことである。この先も、人とのご縁は大切にしなくてはならないと思っている。
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