【柴又日誌】#108:葛飾区生まれ、葛飾育ち。

 不思議なことに、わたしの周囲には、葛飾生まれや葛飾育ちが多い。それも、通常の出現率より異常なくらいに高い。そもそも、かみさんは、葛飾区立石の生まれだ。昨日のブログに登場した友人の恩田さんは、金町生まれで金町浄水場や江戸川の土手で遊んでいたそうだ。

 

 昨年まで、大学院でマーケティングの講義補助をしてくれた花畑さんは、結婚してからの一時期、青砥に住んでいた。ゼミ生の木村(良夫)君は、学生時代に高砂に住んでいたらしい。無印良品の松井忠三元会長は、お花茶屋にお住まいだった。西友の本社が赤羽駅にあったからなのだろう。京成本線のお花茶屋は、北区に接してはいるが、ぎりぎり葛飾区のエリアだ。

 先月、元大学院生と門前仲町の秋田料理店「男鹿半島」できりたんぽ鍋を食べるために集まった。そのとき、各自の出身地が話題になった。きりたんぽ会を組織してくれた田中さんは、葛飾区細田の出身。わたし以外で、唯一の男子だった石井君は、お花茶屋で育ったらしかった。

 その席で、同級の堀さんを、葛飾区議会議員に立候補させようという話になった。火付け役は、わんすけ先生だった。本田消防団の実力者、高砂駅前で美容院を経営している塩田ままに、全体の集票を依頼することになった。わたしが勝手に決めたことだ。

 

 かつしか文学賞の応募作品では、葛飾区の観光名所と食事処をたくさん登場させた。消防団の話も、その延長線上にある。「マグネット」という言葉がある。商業用語で、買い物客を店内を回遊させるため、店舗奥の売り場コーナーなどに配置しておく魅力的な商品のことを指す。

 人間にも、マグネットがいる。その人の周りにたくさ人が集まってくる人物のことだ。うちのかみさんも、そのひとりのようだ。高校生のころに、なかやさんというパン屋さんでアルバイトをしていた。彼女が店にいると、お客がたくさん入ってきたらしい。マグネット娘だった。

 わたしは、18歳で秋田の田舎からから東京に出てきた。最初は、東京の西地区(杉並区高円寺や都立大学前)に住んでいたが、いつの間にか、葛飾区の住民になっている。誰の引力で下町に比重がかかったのか?この地では、まさかの消防団員になってしまっている。

 周囲を見渡してみると、金井進一さん(すすむさん)や塩田ママが、マグネットになっている。彼らの周りに人が寄ってくるのだ。本田消防署の第11分団は、16分団中で唯一だが団員数が増えている。それは、マグネットとなる男女のふたりの集客力によるものだろう。

 

 下町の葛飾区高砂に移住して4年目になる。最近になって驚いたことがあった。子供たちの小学校の図画工作展示会では、小学校別に優秀作品の作り物を展示していた。葛飾テクノプラザの一階ホールを使った展示だった。その会場で、少子化にもかかわらず、たくさんの小学校の展示があることを知った。

 受付にいた先生らしき女性に、「いったい、葛飾区にはいくつ小学校があるのでうか」と尋ねてみた。答えは、驚きの「50校」だった(実際は、令和4年で56校)。

 各小学校には、学年ごとに2~3のクラスがある。孫の穂高の小学校でも、3クラス編成になっている。東京都でも場所によっては、学年で1クラスしかない小学校が多いはずだ。一クラスは30人前後らしい。となると、令和3年で人口が約46万人の葛飾区で、728クラスで56校。すごい数の児童数だ。

 葛飾区の総人口はマイナス(令和3年で-0.2%)なのだが、児童の数は減ってはいない。葛飾区は、思いのほかに若い街なのだ。物価も安くて、小学校の学校給食を東京都で最初に無料にした。だから、葛飾区は、いまや子育ての町のイメージがある。区長さんの先駆的な政策のおかげなのだろう。