お歳暮のシーズンも終わりかけている。この季節になると、午前中から断続的に玄関のチャイムがなる。インターフォンの画面には、宅配便の配達員の顔が映っている。毎日のように、このところはお歳暮が届く。次男の家の分まで受け取るので、在宅勤務のわたしがほぼ一日中、宅配便の受け取り係になる。毎日が宅配便の受領係になるとは、定年前は思いもよらなかった事態だ。
しかし、それも悪いことではないと思う。先ほども、沖縄の宮古島に住んでいる内記くん(元大学院生)から、三越経由でお歳暮が届いた。ゴディバのチョコレートである。わたしはチョコ系の甘いものはやや苦手だが、かみさんとお孫さんたちが喜ぶアイテムである。嫁のあずちゃんもそうだ。
早速、沖縄の内記くんの携帯に電話を入れた。彼は、かの地で農業と宿泊業を営んでいるはずだ。千葉県出身の内記くんが、沖縄に移住したのはいつごろのことだったろうか。収穫物のマンゴーなどと一緒に、折に触れて連絡がくる。沖縄移住から10年以上は経過しているはずだ。とはいえ、宮古島での新規事業は順調というわけでもなさそうだった。
電話口で話していたら、「農業は雑草取りがたいへんで、、、」と、もともとが千葉の農家の息子さんだった?たしか、ご実家は大地主さんで、観光農園を経営していたように記憶している。内記くん自身は、卒業プロジェクトで、農業分野に取り組んでいた記憶がある。本当の移住目的は、なんだったのだろう?
昨日は、大阪在住の頼くんからもお歳暮が届いた。頼くんは、大阪から「通いの」ドクター課程の院生だった。いまは、「ホリカワロースター」というコーヒーの焙煎やさんを経営している。先日の関西出張(11月末)では、30日の午前中に時間ができたので、頼君の住んでいるマンションに、本人と再婚した奥さんとお子さん(双生児ちゃん)の顔を見に行ってきた。
内記くんや頼くんだけでない。ふだん連絡が密ではない元院生や友人たちから、お歳暮や季節の贈り物が届くと、わたしからはお礼の電話をする。ラフランスやナシやリンゴが、たまさかのコミュニケーションのきっかけになる。それで、本人とご家族の近況を確認できる。
お歳暮やお中元、年賀状などは「虚礼」だと言われる。しかし、そうでもないように思う。社会的なコミュニケーションのための潤滑油として機能しているように思う。
わたしの場合も、新しい本が出版されると、多くの人に献本している(今回は、自費出版につき、極端な限定数だった)。先週のように、『日本経済新聞』(11月29日)にインタビュー記事(ハーフマラソンのススメ)が出ると、お弟子さんや友人たちに告知のメールを送っている。
要するに、なんらかの形で仕事を継続しているということだ。ネタ出しのために、いつもせわしなく仕事を継続しているところがある。常に動いていないと、だれかれとの連絡のきっかけはつかめないのだ。
今年も残すところ、あと一か月になった。昔のように「師走」で、尻に火が付くほど忙しくはないが、気持ちは落ち着かなくなる。年初に誓ったやるべきことを、今年もきちんと終えられているだろうか? まだやり残した案件はないだろうか?
来年に向けて、また新しい仕掛けを考えている。次の年の希望を考えられるときだけは、やや落ちこみ気味の気持ちが高揚する。そのとき、元院生のみんなの顔が思い浮かぶ。お歳暮が到着するのが、彼らへの連絡の合図になるのだった。