2日前に、横浜の市営地下鉄三ツ沢下町にある豊顕寺へ、かみさんとふたりで墓参りに出かけた。豊顕寺は、33年前に亡くなった美代子おばさんの菩提寺である。毎年のことで、桜が咲くころになると寺尾のおばさんのことを思い出す。最後のお墓参りが2012年4月2日で、お寺の境内で桜吹雪が舞っていた。
その日のことを、翌日(2012年4月3日)のブログに書いた。「豊顕寺の桜吹雪: 美代子おばさんのこと」(https://kosuke-ogawa.com/?eid=2124#sequel)というタイトルで、多くの方がこの記事を読んでくれている。ブログ記事は、先月3月12日に開かれた法政大学の最終講義で配布した「エッセイ集」にも収録されている。
桜が散り始めると、わたしはセンチメンタルな気持ちになる。それもこれも、10年前に豊顕寺の境内で見た桜吹雪を思い出してしまうからである。桜が満開になるときにかぎって、必ずや大雨と大風がやってくる。昨日や今日の雨はまだ優しい方だ。いつもの年には、満開の桜がわずか一夜で葉桜になってしまう。
このところはしばらく、スマホのLINE画面に桜の花びらが舞っていた。桜の花の散りぎわを見ていると、もの悲しい気持ちになる。今年の春は、定年で学校を離れることもあって、気が弱くなったせいもあるのだろう。
偶然とはいえ、思い立って出かけた2日が、前回の墓参り(2012年4月2日)から一日もたがえず、ジャスト10年目に当たっていた。2022年4月2日。不思議な一致である。前日の4月1日は、実母の命日だった。4年前のエイプリルフールに、実母は秋田の実家の火災事故で亡くなっている。
かみさんが昨夜、わが母の夢を見たのだそうだ。晴れ晴れとした表情で、「ワカさんの夢を見たのよ」と話してくれた。生前は必ずしもふたりは仲良しというわけではなかった。確執はあったはずだが、人間の記憶の中から苦しかったことはしだいに薄れていくものなのだそうだ。どんな夢の内容だったのかは聞き忘れてしまった。
そういえば、最終講義の前夜、わたしは緊張感から4時間しか眠れなかった。うつらうつらとしながら、父親の久さんのことを考えていた。講義の中でも話したのだが、わが父親には大いに感謝していることがある。高校三年生のとき、わたしは校長への反乱を企てて、一週間の停学処分を食らっている。
そのとき、父はわたしのことを叱ることがなかった。1969年は、東大紛争の真っただ中である。反乱軍の首謀者(生徒会企画部長)は実名こそ出なかったが、そのときの反乱の様子が全国紙(朝日新聞)でも取り上げられた。遠因は、当時の高橋校長が伝統の10里競歩を中止したからだった。
中止の理由は、わたしたちの先輩諸氏(卒業生たち)が、真夜中の行軍の際に煙草を吸ったことが、父母たちからの通報でばれてしまったからだった。そのうえ、中には飲酒をしていたグループもいたようで、その見せしめに、わたしたちが入学した翌年から10里競歩の開催が中止になった。
なお、わたしたちが卒業した翌年から、能代高校では10里競歩が復活している。大学3年の時に、復活した10里競歩を走ってみないかと後輩から誘われたことがあった。わたしは、きっぱりとその誘いを断っている。わたしは意外と頑固なところがあるが、定年退職したいまは、チャンスがあれば真夜中の行軍に参加してみたいと思っている。
ところで、眠れない夜の寝苦しさが、生前に父親が話してくれたあるエピソードを思い出させてくれた。太平洋戦争が激しくなったころ、三菱重工に勤めていた父親に赤紙(召集令状)が来た。秋田生まれだったので、父は弘前の連隊に配属になった。そして、東京電機大学の夜学に通っていたからなのか、通信兵として訓練を受けることになった。
終戦間際の昭和18年~19年にかけてのことだろうと思う。船で外地に赴くことになるのだが、派遣先には2つの可能性が残されていた。選択肢は、八丈島と硫黄島だった。日本軍が玉砕した硫黄島に送られていれば、父親は99%の確率で戦死していたはずである。だから、もちろんわたしはこの世に存在していない。
通信兵として出来の良かった父は、八丈島に送られた。本当かどうかはわからないが、そんなふうに父はいつも自慢げに話していた。八丈島に駐屯していた小川久上等兵は、日本が無条件降伏を受諾した敗戦の知らせを、外地にいる兵隊の中では最も早く知ったものの一人だった。大本営から受信したモールス信号の打刻音を、父はわたしたちの前で、何度も口真似をしてみせてくれた。
敗戦の瞬間を思い出していたのだろう。実家では、なぜか何十年も捨てられずに、かび臭い日本陸軍の毛布が押し入れの中にしまってあった。カーキ色の色褪せた毛布にくるまりながら、父はそのときだけ八丈島の通信兵に戻ったようだった。
「ト、ツー、トトト。ツー、トトト」。正確かどうかわからないが、いまでも思い出すのはこのリズムである。