友人の辻中俊樹さんから、一週間前(3月21日)に見本刷りを送っていただいた。わが新刊本の返礼だった。退職の準備や研究室の後片付けで、わたしの先週は結構忙しかった。辻中さんの本も、そんなわけでリビングのソファーに置きっぱになっていた。一昨日、本書を手にとって読み始めることができた。
おもしろかったので、感想を伝えようとご本人に電話を掛けた。一昨日の夕方のことだった。二度コールしたが、お出にならなかったので、辻中さんの携帯にショートメールを入れておいた。
「こんばんは。辻中さん。米を洗う。面白かったです。コメントです。あとがきと解説が欲しかったです。
岩塚製菓は、米粉を買わずに米を洗う。ロック・フィールドも、収穫したジャガイモをそのままナイフで芽取りをする。その理由は共通していますね。それと環境に対する考え方も、瓜二つ」。
「米を洗う」という書名の意味が気になりつつ読んだ。ところが、なかなか答えが出てこない。ずいぶん先まで読んで、やっとその「なぜ」の答えを得ることができた。同じく新潟県に拠点を置く「亀田製菓」などでは、米粉を仕入れてせんべいを焼いている。それに対して、岩塚製菓では、全国各地から「米」を仕入れている。その米を水に浸して、微細な粉にひいてからせんべいを焼くのである。
水に浸す時間の微妙なちがいが、せんべいの風味や硬さに影響を与える。糯米(もちごめ)とうるち米では、浸水の時間が異なる。美味しいせんべいを焼くために、米粉を購入するのではなく、原料米を仕入れるのである。仕入れたお米を洗う工程を省かないことで、せんべいを美味しくできるというわけである。
辻中さんの書籍は、拙著『マーケティング入門』(日本経済新聞出版社、2009年)でも引用させていただいている。トヨタ自動車(元商品企画部)の豊田剛さんから教えていただいた『母系消費』(同友館、1995年)の分析は秀逸だった。辻中さんは、消費者が自記入した「生活日誌」(生活記録)をもとに、その時代の消費者ニーズの本質を探り出す哲人である。
基本は、社会観察的な手法を重視するフィールドワーカーである。現場観察からの鋭い洞察は、前著『マーケティングの嘘:団塊シニアと子育てママの真実』(新潮文庫、2015年)でも遺憾なく発揮されている。辻中さんは、わたしが最も尊敬するリサーチャーである。本書『米を洗う』は、前著から7年後の著書になる。
空白の7年間で、辻中さんにどのような心境の変化があったのか? もくじとエピローグを読んだ感じからして、これまでとは異なるアプローチを採用している。伝家の宝刀である「生活観察記録」は、どこにも登場してこない。そのあたりの方法論的な変化を、あとがきや解説で期待したかった。ところが、奥付は極めてシンプルである。本人の略歴や文献は、まったく掲載されていない。どうしたのだろう。何があったのか?
本書は、亀田製菓と三幸製菓に続く米菓業界三番手、新潟県長岡市に拠点を置く「岩塚製菓」の企業史である。
創業75年の岩塚製菓は、売上高222億円、従業員971名(2021年3月期、連結)の公開企業である(ジャスダック上場)。社名が知られるようになったのは、大雪で関越道路が通行止めになった2020年の冬のことである。同社のトラックライバーが、高速道路で立ち往生していた他のドライバーたちに、同社のせんべいを配ったことがSNSで話題になってからである。
主要製品は、黒豆せんべい、味しらべ、大袖振り豆もち、お子様せんべいなど。社長は、創業家3代目の槙春夫氏。その後、世界最大の米菓製造会社に成長した「台湾旺旺(わんわん)集団」に、80年代から米菓製造の技術指導を続けてきた。その中国子会社で中国本土で大手食品メーカーの育った「中国旺旺」からも従業員を受け入れてきた。
本書は、日台中の企業同士の友愛関係を描いた、ノンフィクション小説とも言うこともできる。
詳しいストーリーは、本書を読んでいただくとして、昨日の辻中さんとわたしの「電話会談」の一部を紹介したい。
わたしからの問いは、「あとがきと解説をあえて書かなかったのはなぜですか?」だった。辻中さんが岩塚製菓を対象として取り上げた理由を、なんらかの形で読者は知りたいはずである。謎解きをしなかったのはなぜなのか?それには特別な理由があるように思った。
辻中さんの答えは、意外だった。「出版のあとでも、岩塚製菓の社内で起こっていることを継続してネットで発信していきたい」だった。岩塚製菓の社内の動きを、辻中さんは、もっと長期に渡って調査していきたい。本書がその出発点であって、ここからが観察記録が登場することになりそうだった。継続的な発信が、解説とあとがきをスキップした要因だったらしい。
最後に、わたしに対して協力の要請があった。ネットで発信する際に、現社長とわたしの対談を企画しているとのことだった。実は、わたしが関係している某社の定性調査で、辻中さんにアドバイスを依頼していた。そのリサーチプロジェクトは、コロナで中断しているが、中止になったわけではない。この先も、お互いが協力し合えることを確認して、昨夜は電話を切った。