【書評】石井良明(2016)『成城石井の創業:そして成城石井はブランドになった』日本経済新聞出版社(★★★★★)

 創業者の石井さんは、創業から30年で現役を引退している。2004年に「レインズインターナショナル」(牛角)に事業を売却して、すでに12年が経過している。ところが、時代が劇的に変わっているのに、成城石井のオリジナルコンセプトはいまだに光り輝いている。なぜなのだろうか?

 

 頑健なブランドがどのようにして生まれたのか。本書では、淡々とその種明かしをしてくれている。

 著者自身が述べているように、「現役時代の私は、経営者は常に先のことを考えるのが仕事で、いつも三手先、四手先を読むものであり、過去を振り返ることなど御法度だと認識していた」(P.7)だった。しかし、ご本人が現場を離れてから改めて過去を振り返り、「奮闘の最中にある業界関係者の参考になり、業界を活気づけるため」に、本書を執筆することにしたと述懐している。

 63歳での引退は、健康上の理由だったようだ。ご本人も、「(唯一の後悔は、)社内から後継者を選べなかったことだ」と述べている。引退はこのような事情だったようだが、とにかく本書は実に淡々とした回顧録になっている。

 ある年代の経営者から見れば、理想的な引退と年齢の重ね方だと思う。このようには、なかなかできないものだ。

 

 読後感である。成城石井のビジネスモデルは、このところ一緒に仕事をさせていただいている「スーパー福島屋」(本社:東京都羽村市)との強烈な類似性を感じさせる。広い意味で、食品スーパーが生産段階への関与を深めた「垂直統合モデル」であることに共通性がある。両社のちがいは、商品のセレクトの方法とコアとなる中心顧客層である。

 成城石井のそれは、立地的にも富裕層を狙ったビジネスである。顧客は年収2000万円以上。取り扱っている商品も、百貨店が住宅地に舞い降りたようなもので、ギフトっぽいMDになっている。買い物袋の価値が象徴的である。成城石井の包装紙は、副題が示唆するように、三越や伊勢丹と同等くらいのブランド力を持っている。

 代表的な商品カテゴリーは、卸業務で外販もしている(いた?)ワイン、チーズなど。バイヤーの仕事も、海外調達が基本になっている。その点でいえば、鈴木陸三さんが創業した「サザビーリーグ」(アフタヌーンティーやアニエスベーなど)のブランドづくりをほうふつとさせる。MDが外延的で、ワインやチーズなどのセレクトは、自社でリスクテイクする投機型である。

 

 恬淡としているように見えて、石井さんは、なかなかのギャンブラーである。なぜならば、一時期は年間40億円にも及んだワインの買い付けに、二年前倒しで為替の先物予約をしていたからである。「私はこの手法を、日本マクドナルドの藤田田さんに倣った」(P.162)と堂々と書いてある。

 円高に振れると為替差損が出るのだが(一ユーロ=140円で先物予約していて、二年後に120円だと20円分が差損になる)、勝率は8勝2敗だったらしい。優れた経営者は、為替予想でも勘が良いものだ。私が知る限りの代表例が、アイリスオーヤマの大山健太郎社長である。

 ギャンブラー的な体質は別にして、石井さんの食品スーパー事業の組み立ては、きわめて論理的である。特徴は、情報の取得とその商品価値への転換にある。POSシステムはかなり早期に導入していて、単品管理と品ぞろえ(カテゴリーマネジメント)は業界でもかなり早かったはずである。

 近年、理科系出身の小売り経営者が増えている。たとえば、西松屋(京都大学)やサイゼリヤ(東京理科大学)などは、理科系の学部出身の経営者である。慶応大学商学部は文科系ではあるが、情報システムに対する勘所を極めた経営者を多く輩出している。たとえば、しまむらの二代目社長、藤原秀次郎氏などである。そして、成城石井の石井良明元社長もそのひとりである。

 

 本書の構成を紹介するのが、ずいぶんと後になってしまった。全体は、6つの章から構成されている。

 

 第1章 成城石井の歴史

 ここでは、30年間の社史が要約されている。1973年に父親から社長業を譲ってもらい、1927年創業の「石井食料品店」の社名を、3年後に「株式会社成城石井」に変更。本格的に食品スーパーに乗り出す。その後の事業の変遷は、商品まわりの充実(海外商品の買い付け)と情報システムの構築(単品管理)に尽きる。同社の成功の要因は、「高品質の商品をお値ごろ価格で提供できたこと」である。

 そのための知恵を、会社の内部だけでなく、外部の経営コンサルタントや建築家、研究者に依頼したこと。つまり、外部人材をうまく登用したことである。おもしろいことに、成城石井をレインズに売却してのちに、経営コンサルタントの大久保恒夫氏(現在、セブン&アイHDGS)が社長に就任する。

 そのとき、経営方針を少し変えていくことになる。大久保さんの業務改革がうまく機能したのは、もともとのコンセプトがしっかりしていたので、専門経営者(コンサルタント)しては仕事がやりやすかったはずである。そして、外部の知恵で経営システムが進化してきたので、細工がしやすかったのである。いまのローソン傘下でも、それなりの難しさはあるようだが、それは機能しているように感じる。

 

 第2章 成城石井のコンセプト 

 この章で最初に書かれているのが、1965年、石井食品店の目の前に忽然と現れた「Odakyu OX」との競争についてである。小田急OXとの差別化が、成城石井のコンセプトを作るときの出発点だった。石井さんが食品店のひとりの店員として10年間考え抜いた結論は、「競合するよりも共存する」だった。つまり、品ぞろえと価格付けで、大量販売指向のスーパーとは戦わないことである。むしろ補完的で高品質な品ぞろえに活路を見出すというものだった。

 品ぞろえの参考にしたのは、前身の石井食品店でよく売れていた「果物」(高級ギフト)だった。つまり、商品コンセプトとしては、お進物(ギフト)的な品ぞろえを核にする。なので、成城石井に置かれている商品は、他の店では取り扱っていない商品構成になる。ただし、利益商品に育てるためには、仕入れに注力しなければならない。そのために、バイヤー(石井さん本人と島崎さん)が産地に出向いて買い付けをすることになる。

 この辺のバイイングの考え方は、福島徹会長(福島屋)と共通するものを感じる。米国のトレーダーズ・ジョーの商売も参考にしている様子がうかがえる。売り手が納得できる商品を、自分で目で見て買い付けるということである。ある程度の量がそろえば、百貨店の価格よりはかなり安くできる。ターゲットは、一般顧客のほかに、専門家(料理教室の先生、レストランのオーナーシェフ)や女性が中心になる。自然と店の棚は、専門性が高い商品になる。

 

 第3章 成城石井の商品戦略

 第4章 成城石井の経営戦略

 第5章 成城石井の人事戦略

 この3つの章は、コンセプトで説明した経営方針を、商品づくり、経営方針、人材育成で分解したものである。同社の歴史とコンセプトで、ほぼ内容は尽きている。興味深いとすると、ワインや国内産品の調達がどのような経緯ではじまり、どのように実際的な運営がなされてきたかのかの説明になっていることだろう。

 経営方針と人材についても、同様である。この部分は、それぞれの機能に関与してきた人たちの紹介になっている。内部・外部の人間がどのように成城石井のビジネスに貢献してくれたのか。この3つの章を読むとよくわかる。

 

 第6章 スーパーマーケットの将来

 「迷ったら、難しい道を(選べ)」(最終節、P.201)は、聖書の言葉である。石井さんがクリスチャンかどうかは不明だが、経営者の中には、岐路に立った時に、あえて困難なほうの道を選ぶひとが多い。石井さんの場合は、「商売において簡単な道とは、お客様を無視して経営上の都合を優先することにつながりがち」と感じたからだった。

 この最終章は、スーパーマーケット(広くは、流通業に携わる人びと)に対するメッセージである。石井さんの時代認識は、画一化を配すること、すなわち、流通業はもっと「専門的」「個性的」になるべきという主張である。成城石井もその方向に道を歩んできた。

 そして、数値管理は大切ではあるが、流行を作り出すためには、現場感覚と肌感覚を忘れないことを示している。当たり前のことだが、小売りの世界は、業態も専門化の方向に進んでいる。カルディコーヒー、イオンリカーやイオンバイクを例として挙げている。石井さんが例示はしていないが、この先はおそらく、コンビニもスーパーも、そしてドラッグストアもホームセンターも、もっとその中から専門的な業態が台頭してくるのではないだろうか?

 わたしたちのオーガニックなレストランやスーパー業態も、期待のフォーマットである。石井さんが現役ならば、どのように事業を展開しようとするのだろうか?