【新刊紹介】 デイビッド・モントゴメリー/邦訳:片岡夏実(2018)『土・牛・微生物:文明の衰退を食い止める土の話』築地書館(★★★★)

 『土の文明史』『土と内臓』に続くモントゴメリーの3部作、最後の著書。前二冊は、帝国の盛衰が肥沃だった土壌の荒廃と関連していることを指摘した『土と文明史』、土の健全性は微生物に由来するとした『土と内臓』。本書は、環境保全型農業を営む世界中の農家を取材した地質学者のフィールドワークの記録。

 

 本書で取材対象になっている「環境保全型農業」とは、わたしが子供のころに、母親の実家で経験した稲作の体系そのものだった。10ヘクタールの稲作農地を保有していた珍田家(秋田県山本郡羽立の地主)は、数頭の牛や馬を母屋の隣で飼っていた。家畜の排せつ物を稲わらに混ぜて、人間のし尿もそれに加えてたい肥を作っていた。

 たい肥は湯気を出していたし、海釣り(キス釣り)に行くときには、いつもたい肥をかき混ぜてミミズを探し出してきた。おそらくは、微生物や虫たちが稲わらを分解して、翌年の収穫のための栄養にるりアミノ酸を作っていたのだろう。

 冬に降り積もった雪が解ける前に、たい肥は馬そりで運んばれて田んぼに撒いていた。母の実家は、当時の我が国の農家がそうであったように、日本の稲作は典型的な循環型農業だった。母の実家には、耕運機もなければ化成肥料もなかった。あるのは、もみ殻の脱穀機と縄をなう動力機械だけだった。化学肥料を使うようになるのは、ずいぶん後のことのように記憶している。

 本書の第12章「閉じられる円環:アジアの農業に学ぶ」で、日本の農業が紹介されている。戦前から戦後すぐの日本の農業は、低投入型の稲作農業だった。記憶をたどれば、畑作では輪作がふつうに行われていた。稲作以外は、多様な作物を作っていた。雑穀類、大豆、じゃがいも、サツマイモ、大根、ニンジン、キュウリ、トマト、マクワウリ、菜の花などなど。

 

 回り道をしてしまった。本題に戻ろう。300数十ページにわたって、フィールドノートを書きつづっている著者が、読者に伝えるメッセージはとてもシンプルに要約できる。エッセンスは、50ページ以内でまとめるられる。

 著者が食糧危機と環境破壊から人類を救うために必要と考えている環境保全型農業は、つぎの3つの要素から成り立っている。そのひとつでも欠けると、植物と土壌微生物の良好な関係が成立しなくなる。慣行農法でも有機農法でもそれは同じで、土壌の持つ力=効力を失ってしまうことになる。 

 その3つとは、①土を耕起しないこと(不耕起農法)、②緑肥として多様な被覆植物を播種すること(被覆作物の利用)、③麦、大豆、コーン、被覆作物の輪作(輪作の活用)。それに、高密度で多頻度の牛の放牧の併用。

 ②と③は、有機農業を知る人間にとっては、ほぼ常識である。土壌微生物や菌根菌と植物の共生には、輪作とカバークロップが必要なことは有機農業の初歩である。ところが、三点セットの最後が、わたしには思いもがけなかった。つまり、犂を使って土を耕してはいけなかったのである。

 

 なぜなら、耕起することで、土壌の中で形成される微生物や菌根菌が作った「コロニー」(住処)を破壊してしまうからである。耕起された土壌では、水の浸透が悪くなる。そして、被覆作物があれば、耕起しなくても土は柔らかいままでいられる。実は、著者の妻アンのように、わたしも自宅の庭でこれを経験したことがある。

 本書の主張で重要なのは、植物の多様性を利用することである。多様な植物を扱うと効率が悪くなる。しかし、長期的に俯瞰してみると、単一作物を作り続けるより、多様な作物を畑に植えると合理的なメリットが生まれる。

 まずは、多様な作物を輪作していると、畑が害虫を寄せ付けなくなる。害虫にとってその環境変化が予想のつなかいものになるから。また、単一作物がもつリスクは、「全滅」の危険である。多様な作物は、そうしたリスクに強い。誰かが死んでも、誰かは生き残ってくれる。モノカルチャーでは、これができない。

 

 本書は、四ツ星なのは、次の理由からである。本書の内容は、非の打ちどころがない。説明もデータも事実関係も、まったく疑いようがない。それでも、物書きの端くれからすると、長々としてフィールドの描写と説明が冗長すぎる。

 「結論ファースト!にしてほしかった」のである。