新刊本を贈られたらすぐにお礼状を書くのが習慣である。ところが、大学は一斉休暇。礼状を出す代わりに書評を書くことにした。「マーケティング・サイエンス学会理事」とカッコ書きにあったから、著者はサイエンス(技術)寄りの先生としてわたしに献本してくれたのだろう。★3である。
3つの観点から、本書を読んだ。
(1)ジェラルド・ザルトマン/藤川・阿久津訳(2005)『心脳マーケティング』HBSPressから8年間で、「心(理学)と脳(科学)」は科学としてどのくらい進歩したのか?
(2)マーケティングの革新について、いまの脳科学(マーケティング心理学)はどの程度の貢献を果たしてくれているのか?
(3)そもそも「ニューロマーケティング」とは何か?
まず、(3)については、ザルトマンのZMETとの違いがよくわからなかった。評者は、ザルトマンのアプローチは、手法・内容ともに80%は眉唾だと思っている。ただし、残りの20%は、役に立つ発想でおもしろいところもある。
というわけで、(1)脳科学のマーケティングへの応用という点から、脳科学の専門家ではないわたしの知識水準からでは、この分野が画期的に進歩を遂げたとは感じられなかった。
その理由を考えてみるに、(2)「ニューロマーケティング」の定義に関する整理が不十分だったからではないかと思う。
わたしが納得できたのは、第3章「脳はCMの何を見ているのか」である。脳波の測定(脳血流反応)が、視聴者のCMへの反応の違いを測定する手段として有効である。それは間違いがなさそうな結論だ。ただし、CM視聴後のアンケート調査の解釈が眉唾であることは、有能なリサーチャーならば誰でも知っていることである。
よく考えてみれば、われわれの日常にもそうした例はごろごろ転がっている。たとえば、女性は、男性に対して自分の感情を表出するときは、ほぼいつでもウソをついているではないか!
”だめ”が本当は”イエス”だったり、どうでもよさそうにしていて(無関心を装っているが)、実は真剣な対応を求めていたりする。ほしくなさそうにしていたはずのものが、ホントは欲しかったりして、女心を斟酌できない男どもはたいそうな非難の嵐に見舞われる。
つまり、脳波の測定などしなくても、相手(女性)の態度や目の動きを観察していればわかることが多いのだ。本音を探れないリサーチャーは、そもそも測定機器を借りる前にお払い箱になっているだろう。
本書の核となる主張は、ニューロマーケティングによって、既存のマーケティング・アプローチが変わるという点である。しかし、関係性を基軸に据えたマーケティング(嶋口・和田パラダイム)は、とくに目新しいものではない。ブランド論も、メディア論も、すでに「リレーションシップ・パラダイム」に移行してから20年は経過している。
新しさの点で、本書は、「マーケティングの5つの常識」にチャレンジしている。いくつかは新規性があるにはあるが、すべてが新しい発見ではないように思う。ひとつずつレビューしてみる。
(1)ブランド認知優先の法則:商品の名前を憶えてもらうことがコミュニケーションの最低条件である。
→ この主張は、すでに「精緻化見込モデル」(ぺティ&カシオッポ)などで議論が尽くされている。「認知」に先立つ「態度」の形成や、「行動」が「評価」の先に来る消費者行動類型など。新しくはない。むしろ学会の常識が、その逆なのである。
(2)メッセージ訴求力の法則:商品を魅力的に表現するメッセージが顧客の購入意向を刺激する。
→ 脳が「怠けもの」であることの指摘はその通りである。われわれ(岩崎、中畑、小川)のテレビ視聴の研究「テレビは本当にみられているのか?」『日経広告研究所報』(2013、(上)(下)2回に分けて掲載)でも確認されている。だから、「無音」(ユニクロ)のコマーシャルが注目を浴びたりしている。ニューロダイナミズムが、突破口になる可能性がないわけではない。
(3)バーチャル化の法則:商品の選択はオンラインへ、体験はリアルからバーチャルへ向かう。
→ 5感を通じたリアル店舗での体験の効用は、経験マーケティングの著者も主張している。ネットでの購買は、リアルと連動する(同期する)は今や常識である。ニューロマーケティング特有の現象ではない。分析に大きく貢献するわけでもなさろう。
(4)満足総量普遍の法則:不都合や不満を最小化した商品は満足度がもっとも高い商品である。
→ たしかにそうだが、イケアのようなケースは特別な場合だろう。そうはいっても、不満は少ないほうがよいに決まっている。日本サービス業のパフォーマンスを見ている限りでは、これは一般には当てはまらない。
(5)アダプテーションの法則:国や文化の違いを考慮しない商品やサービスは受け入れられない。
→ グローバルマーケティングの世界は、多様化に向かっている。米国起点のマーケティングは終焉を迎えている。「優れた標準製品を世界に!」は」たしかに、多民族国家だった米国がグローバル展開するときの基準であり、スローガンだった。
しかし、新興国に出て行ったメーカーの現実を見てみるとよいだろう。食品分野(マック、コカコーラ)においても、トイレタリー分野(P&G、ユニチャーム)においても、ローカルに適応できないメーカーやサービス業は生き残れていない。脳の反応も、世界中で一様とは思えない。
結論なのだが。結局、(3)「ニューロマーケティング」とはなんだったのだろうか? よくわからないままに、本書を読了してしまった。かなり駆け足で読んだので(フォトリーディングで)、もしかすると、評者の誤解もあるかもしれない。
追記:
ちなみに、広告心理とマーケティングという文脈で、本格的に「ニューロマーケティング」を紹介している文献としては、杉本徹雄編(2013)『マーケティングと広告の心理学』「第13章 ニューロマーケティング」が詳しい。わたしのような素人判断ではなく、こちらのほうが正当な評価なのかもしれない。