中国経済論2冊:関志雄『共存共栄の日中経済』(★★★★★)、関満博『「現場」学者中国を行く』(★★★★★)

 土曜から日曜にかけて、最近出版された「中国経済・経営本」を2冊読んだ。自著(仮:中国市場が日本を変える、日本経済新聞社)を執筆中なので、とても参考になった。



 一般的に書評が辛めのわたしにしてはめずらしく、2冊とも内容評価は最高の5つ★である。偶然にも両書の著者は、”関”という名前の人物である。
 関志雄氏は中国(香港)から日本への元留学生(現、北大教授)、関満博氏は現場志向の日本人研究者(現、一橋大学教授)である。
 どちらも読み応えのある本であった。両書の優れている点は、きちんと現場と現実を見ている点である。上滑りなルポでも、現場を知らない理論家が直感的に展開する応用経済学でもない。実に示唆に富んだ記述がそこここに見られる。とりわけ、中国経済と中国企業(国有、合資、独資)の経営実態について、常日頃感じているWHYに的確に応えてくれる。両書ともに、「日本と中国の架け橋論」という夢を語りながら、現状と将来の不透明な部分については、はっきりと”わからない”と述べている点に好感が持てる。
  *  *  *
 関志雄(2004)『共存共栄の日中経済』東洋経済新報社は、ごく最近まで主流だった中国脅威論に対して、明確に「日中経済の補完関係」を主張する理論書である。日中の経済連携について感じているわたしの感覚(東アジアはひとつの統合経済市場:FTAになるべき)と全面的に一致している。
 関氏の著書で評価できる点は、人民元の切り上げ論争を題材にして、高度成長にもかかわらず、なぜ中国経済が脆弱なのかをデータと理論で説明していることである。中国脅威論は、事実をきちんと見ない(あるいは、見ようとしない)、日本人の誤解に基づくものであることがわかる。中国経済を支援する日本の役割がそこで意味を持ってくる。「脅威論」に対置して、「牽引論」とも呼ばれる。
 先週、日本政府(小泉首相)が「中国へのODA(経済援助)を2010年までに漸減していく」というニュースが、NHKや新聞などで報道された。そうした動きは、それでなくとも政治的に悪化が懸念される日中関係にとっては、マイナス以外の何者でもない。元留学生の関氏は、「はしがき」でつぎのように述べている。
 「現段階では、中国は「世界の工場」と呼ばれながらも、世界的に通用する技術もブランドも持っていない。また、その強みはいまだ儲けの少ない組立てといった労働集約的型の工程に限られている。これに対して、日本では賃金水準が高いために付加価値の低い分野ではもはや中国の相手となりえないが、付加価値の高い分野では依然として優位を保っている。このような観点からは、「必ずしも中国での現地生産にこだわる必要はない」という結論が導き出される」
 すなわち、両国でFTA(自由貿易経済圏)が締結できれば、日中の経済的な補完関係が促進されるという主張である。私自身もこの意見に全く同感である。地政学的にも経済文化的にも、日中韓(+台湾、香港)は、ひとつの統合経済圏(東アジアFTA)を構成すべきある。それが、東アジアの平和と人々の生活にとって、もっとも理想的な姿であると考える。
  *  *  *
 関満博(2005)『「現場」学者中国を行く』日本経済新聞社は、書名の通りに、現場感覚が鋭いリサーチャーによって書かれた好著である。関氏の手法と比較すると、わたしの中国企業への接近方法は、まだまだ甘いところがあると反省させられる点が多かった。なんと言っても、”足で歩いた”現場視察の蓄積量が違っている(参った!)。
 筆者は中国を4つの経済圏(広州、上海、北東、内陸)に分けて、それぞれの地域産業の発達と企業の成り立ちを解説している。東京都商工部の指導員だったときから15年以上の長期にわたり、深く現場に入り込んだ成果である。そこから導き出された経験知は実に的確である。中国進出を考えている日本人経営者にとっては、きわめて示唆的である。やや挑発的でさえある。中国企業(現地経営者)の行動(の時代による変化)がうまくとらえている。
 わたしにとって参考になった点は、つぎの3つである。
 中国の市場経済はひとつではないといわれる。その実態と企業運営におけるWHYが第一に理解できた点である。例えば、広州のように中央政府の手が完全には及ばない地域経済圏が存在し、そこは地方分権的に運営がなされている。本書を読めば、その実態が理解できるうえに、各地域が特徴ある産業を発展させてきた歴史的な背景と、隣接する外国(企業)がどのように各地域と連携しているのかがわかる。(1)広州に対する香港・台湾、(2)上海と欧米企業、(3)東北部と日韓企業、(4)内陸部と日本企業。
 2番目には、本書を読むと、「日本人もまんざら捨てたものではない」という安堵の気持ちを持つことができる点である。日本人の有為な人材は、中国という現場を通して、あるいは、中国との合弁企業や日系企業の支援活動によって、新しい「希望」と「熱気」を発見することができる。これは、わたし自身が上海や北京、大連、青島の市場、農場、工場の現場で感じたことでもある。アジアの中の日本人として、まだまだ人々の幸福と経済発展に貢献できることが確信できるのである。関満博氏の書は、その可能性について夢を語ってくれている。
 三番目に、中国の”あいまいな経済運営”が、いったいどのような要因と構造に由来しているのかが理解できる点である。筆者は、その主因を「自転車路論」(最初は不完全な自転車が、使いこんでいくうちに部品を交換しながら完成品に仕上がっていく)と命名している。共産党という社会主義上部構造を頂上に置きながら、実際の産業政策は、資本主義そのものである。中国の市場経済が、どのような根拠によって成り立っているかの説明である。
 以前にも関氏の著書(日本評論社刊)を何冊か読んだことがある。その印象からすると、やや堅めの著書が多かった気がする。本書からは、著者の肉声が直に伝わってきた。
 なお、最後の点に関して、私自身は、中国経済は「未完の大市場」であり、「ルールを変えながらのシミュレーションゲームを実行中である」と近刊では書こうと考えている。日本にとって大切なことは、中国の「国際経済ゲーム」(例えば、WTOへの加盟とその後の経済運営、法制度の改革)に、日本が何らかの形でプラスの影響力を行使できるかどうかである。そのためには、直接間接の形で引き続き、中国への経済協力を惜しまないことである。
 また、「中国人の留学生を質的に増やすこと」(関満博氏)によって、日系企業や中国企業(日本との貿易関連)で将来は働きながら、かつ日本に対して好意を抱く人材を、どのように日本に引きつけることができるかが課題である。すでに日本から中国に帰国した元留学生に対しては、精神的・経済的に援助を惜しまない努力を、日本国として実威できるかどうかが重要である。「日本ファン」なくして、中国で日本企業は成功し得ない。また、日本の企業活動と消費文化の良い面を伝えるために、もっと中国人を現地で受け入れていかなければならない。そのことが、両書を読んでさらによくわかった。