信州小諸の中棚荘に滞在していた昨夏、通称「1000メートル道路」と呼ばれる農道を毎朝走っていた。浅間山のふもとの斜面を縫って走っている農道は、標高1千メートルの等高線に沿って、小諸から隣町の御代田まで続いている。すぐ先は、旧軽井沢の避暑地である。
小諸・御代田の辺りは、8月末から9月のはじめにかけて、高原野菜が旬の時期を迎える。レタスやキャベツが収穫されている風景に遭遇する農道は、小諸から御代田までは約18キロほど続いている。収穫物を積んだ軽トラックが楽にすれちがえるよう、農道がきちんと整備されている。
「農道が比較的きちんと整備されているのは、むかし長野県知事だった田中康夫氏の貢献である」と、著者の嶋崎氏は述べている。高齢化が進んでいる日本の農業ではあるが、よく見ると、農道沿いの土壌が肥沃そうな斜面では、朝早くから大勢の若者が野菜の収穫作業を手伝っていた。
農水省の補助事業で整備された農業団地なのだろう。圃場の前には看板が立てかけてある。走っている昨年の夏には気が付かなかったが、偶然に手にした本書『儲かる農業 「ど素人集団」の農業革命』に登場する農業生産法人「トップバリュー」の事務所が、斜面の下を走っているロマンチック街道に沿ってあったはずである。そのことを知ったのは、ごく最近のことである。
前置きが相当に長くなった。嶋崎秀樹氏の本は、東日本大震災の前に購入して、そのまま机に積んであった。「在庫本」と読んでいる中の一冊である。
本ブログでも取り上げた岡本重明氏(農協との30年戦争)や木村秋則氏(奇跡のりんご)、浅川芳裕氏(日本は世界第5位の農業国)などの書籍と、ほぼ同じ時期にネットで購入してあった。徳江倫明さんなどと、有機農業の調査レポートを作成していた時期と重なる。
本書をつら抜いてる基本的な考え方は、浅川氏や岡本氏の主張の検証である。強い日本農業を作ることが可能であることを、実地で証明して見せてくれている。適当な場所と作物を選んで、若者を中心に生産と販売の組織(生産だけではだめ)をきちんと作れたならば、日本でも農業は事業として成立する。「儲かる」とは、そのような意味である。
ご本人は、食品メーカー(ブルボン)の営業マンから、結婚のために娘婿となって長野の御代田に移住した。農業に対しては、「ド素人」である。いまでも、嶋崎氏が直接、レタスを栽培しているわけではない。
地元で青果卸を営んでいた義父から会社を譲り受けて、小売業やチェーン系のレストランに集荷したレタスを納めている集荷卸業者である。もちろん、立ち上げた農業生産法人で野菜を作っているが、基本は営業開拓である。
素人が農業をしているのではなく、営業のプロが新規就農者を組織化しているのが実態であろう。したがって、アマゾンの書評などをみると、本書にはきびしいコメントが付されている。著者としては、あまり気にすることはないと思うが、一部は指摘が当たっている部分がないとは言えない。
長野県の御代田で、「脱サラから9年で(2009年時点で)、年商10億を達成」(書籍の帯から)とある。それができたのは、3つの条件が整っていたからである。
(1)気候条件と作目
何をどこで作るかが、成功のもっとも重要な要因である。長野の高原レタスが、他の産地とは大きく差別化できたからである。夏場の需要期が、大手レストランチェーンの必要量にちょうどの数量だった。多すぎても少なすぎても、うまくいかなかったはずである。さらには、特定品目のレタスだけしか作っていない。
(2)加工用の野菜に特化したこと
栽培していているのが低農薬の野菜なので、生協や大手チェーンの栽培基準に沿ったもの(やや栽培がしにくい)が提供できた。そのうえで、カットパック野菜などの加工用に特化できたことで、見た目やサイズにこだわる必要がなくなった。
市場基準を捨てたことで、実際に得られたものは大きい。栽培上のロスがでないので、収品率(イールド)が高くなる。通常のJA集荷品目ではこれができない。サイズをそろえて、見た目をよくしないと、青果市場では評価が下がる。生鮮野菜では商売にならないのである。
(3)他人の力を利用したこと(組織を作ったこと)
嶋崎氏は、農場のオーガナイザーである。言葉は悪いが、「研修生」という名目で、当初は安い労働力を利用できる。3年以上農業に滞在できたのちには(辛抱したのちには)、それなりの報酬を手にすることができる。独立資金(ボーナス)も支給してもらえる。
しかし、そこまで昇って行けるのは、農場に入ってくる若者の10分の1以下である。人材の自然淘汰が起こっていて、それが強いビジネスを作っている。
まとめると、強い農業者が選抜されて、儲かる農業が生まれているのである。
結論である。全国の農業者たちが、嶋崎氏が長野の高原で実践している農業ができるかといえば、そうとも言えないだろう。(1)~(3)の最低ふたつくらいの条件がないと、儲かる農業にはならない。日本の農業のむずかしさは、この辺りにある。
(1)適地適作で差別化アイテムをマスで作り出す
(2)加工先が有望で利益性の高い販路をもっている
(3)人材の振り分けが組織的に可能である
きびしく鍛えらえた人間の集団にしか、収益性の高い農業経営はできない。製造業や商業では当り前のことである。農業分野も同様である。そのように、本書を読むことができる。