大きな会社の劇的なイノベーションを扱うのが、イノベーション論の常道である。ところが、本書では、ビッグな組織イノベーションではなく、人間の個性的な生き方と働き方のイノベーションが取り上げられている。著者は、大学院でゼミ生だった岩崎達也教授。博報堂のコピーライターから日本テレビのディレクターに転身。現在は、関東学院大学で教鞭をとっている。
岩崎さんの専門は、メディア論と地域創生である。指導教授のわたしとの共編著で、『メディアの循環』生産性出版(2017年)がという本がある。この本は、いまでもよく売れている。わたしの弟子たちは、「Publish? Or Perish!」と気合を入れられる。たくさん本を書かないと、世の中から忘れられてしまうよ。その意味では、増産体制に入った岩崎さんは、わたしの遺伝子をもっとも色濃く継承している弟子のひとりである。
本書の内容は、はじめにとPART1(1章~8章)を読んでいただくとして、本日はいつもとは違う形式で書評を書くことにする。通常の書評では、まずは内容紹介から始める。しかし、本書を読了する直前(昨日の午後14時ごろ)に、ちょっぴり驚くようなご託宣(インスピレーション)が忽然と天から舞い降りてきた。
神様からの啓示にしたがって、全8章立てのそれぞれのイノベーション(個人の起業ストーリー)を、わが知人の誰かにプレゼントするという形式で、8通りの事例紹介文を書くことにしたい。岩崎さんが取材した人物やユニークな事業のいまを知ってほしい贈り先(プレゼントの贈呈先)を、各章ごとにわたしが選んで指名することにする。
プレゼントの相手として選ばれるのは、わが子だったり、友人だったり、現役や元院生だったりする。彼ら/彼女たちのいまの生き方に、本書で紹介されている「小さなイノベーションの担い手」の起業物語を紐づけてみたい。その意図するところは、この先の人生行路を彼らが考えるうえで、本書で紹介されている先達の生き方から何らかのヒントを見つけてほしいからである。
それでは、リボンを解いて、8人(組)の友人・知人へ向けた贈り物の小箱を開けてみよう。各章のナンバーに続いて「タイトル」、イノベーションの担い手(所属組織)、そして、プレゼント相手の名前と(所属)の順になっている。
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Chapter1 「一瞬で、空気を変える力」:大棟耕介(プレジャー企画代表取締役社長)
大棟さんは、日本で初めてクラウン(道化師)の会社を興した起業家である。自らがピエロであると同時に、道化師の派遣会社を作ることに成功した経営者でもある。著者の岩崎さんによると、大棟さんは「場の空気」を作る達人である。彼の周囲からは、常に笑いが絶えない。それはなぜなのか? 場の雰囲気を整えるという目的を明確に持ちながらも、自らの道化師として存在を程度に消そうとしているからだと思う。プレーイングマネージャーでもある大棟さんの成功は、存在感のコントロールにあるようだ。
この物語の贈り先は、無印良品(良品計画)の中興の祖である松井忠三元会長(現在、オフィス松井代表)である。松井さんは、大棟さんと同じで筑波大学(旧東京教育大学)の卒業生である。わたしもメンバーである「サービス産業生産性協議会」(通称SPRING)の集まりで、松井さんの司会ぶりを見ていていつも感心している。松井さんは協議会の副会長で、会長はキッコーマンの茂木友三郎名誉会長である。ふつうは、茂木さんの影に隠れて副会長の存在はかすんでしまうものである。ところが、松井さんの名司会ぶりで、まるでクラウンのように場の雰囲気が和んでしまう。そして即興が上手である。
Chapter2 「6代目の挑戦」:遠間和広(温泉ソムリエ家元&遠間旅館主人)
赤倉温泉6代目当主の遠間さんは、東洋大学卒業後に船井総研に就職する。6年後に故郷に戻った遠間さんは、コンサル会社での経験を生かして、地域再生のために「温泉ソムリエ」の資格制度を考案し、自らは家元を名乗る。
イノベーション・マネジメント研究科の優秀プロジェクト(2020年度)を受賞した金子美愛さん(現、外資系損害保険会社執行役員)にこの物語をプレゼントしたい。彼女は「本ワサビのEC販売事業」をいまから起業しようとしている。予定されているEC事業では、「日本ワサビ協会」を登録して、「ワサビ検定」(岐阜大学山根京子准教授の監修)を付帯サービスとして提供することになっている。遠間さんと金子さんのキャリアは異なるが、事業としての方向性は似通っている。金子さんへ、ぜひとも遠間さんをベンチマークしてください。
Chapter3 「情動の中にこそ、イノベーションがある」:山田夏子(クリエイティブファシリテーター:しごと総合研究所代表)
山田さんが業とする「グラフィックファシリテーション」とは、「まだ自分の意識には上がっていないが、心の奥で見られたがっているもの」を引き出す作業である(P.68)。換言すると、アート(美術)を媒介にして、人間の意識下にある良き発想を引き出すことである。山田さんは、企業や事業が抱えている問題を絵(文字や図)にすることで、困難な開発の糸口を見つけ出すことを仕事にしている。彼女のファシリテーションは、チームを編成して共同で課題解決にあたるのが特徴である。
山田さんの生き方を、関西の大手化粧品メーカーから畑違いのテレビ局に転職したばかりの中村弥生さん(同志社大学MBA、元大塚製薬ブランドマネジャー)にプレゼントしてみたい。これまで中村さんが経験した2社で、彼女はマーケティング企画とブランディングを担当していた。次のステージ(新しい職場)では、これまで以上にクリエイティブな能力が要求される。それと同時に、年齢的に組織運営も任されそうだ。具体的な何かではなく、別の方面からの仕事の仕方とコンセプトづくりの参考にしてもらえれば、メンターであり紹介者としては大いにうれしく感じる。
Chapter4 「三陸のほやおやじ」:木村達男(三陸オーシャン代表取締役)
現在のわたしは、ほやが大好物ではあるが、若いころは独特のにおいが苦手だった。ほやの美味に気付いたきっかけは、塩辛の旨さを発見したことである。木村さんの仕事は、三陸の特産品であるほや(生鮮品)を一般人に食べてもらうために、様々な加工品を商品開発して販売することである。地元でしか食されることがなく、一般には嫌われものだったほやを、全国的な食材に押し上げた功績は、困難に挑戦したチャレンジャーの仕事である。
この章を読んですぐに想起したのは、いま大学院でわがセミに所属している杉谷健太君(元日本ハム勤務)のことである。杉谷君は、昆虫食の一分野である「蚕を使った食品の事業開発」を卒業研究のテーマにしようとしている。ただし、昆虫食市場の未来は不確実性が高い。コオロギや蚕(かいこ)などを食品として売り出すためには、木村さんがほやの加工品版売で経験した「人間の心理の壁」(グロテスクな食材)を乗り越える必要がある。現実的でより無難なテーマ(固定種の野菜販売システム)を選ぶ前に、木村さんの挑戦を読んでみてほしい。
Chapter5 「人呼んで、ラブレターの達人」:坂本美奈(富士通「人間力セミナー」プランナー)
坂本さんがラブレター(招聘状とお礼の手紙)を書く相手は、社内セミナーの講演者たちである。たとえば、将棋の羽生善治や海洋冒険家の白石康次郎さんなど。研修セミナーの企画と運営を担当している坂本さんの得意技は、著名な講師を招聘して内容を企画・実施するプロセスを丁寧にコントロールすることである。これまで600回以上に及ぶ社内講演会を開催しているが、セミナーの実施以外にも、セミナーを盛り上げる事前事後の準備として、また講師との関係性をよくするための番外の仕事として、ピアノ演奏や韓国語の習得などをこなしている。
人間力セミナーの主催企画力は、ふたりの坂本女史に学んでほしいと思う。プレゼント先は、坂本陽子さんと坂本和子さんである。坂本陽子さんは、切り花輸入商社YMS(本社大阪)の社長さんである。いまはわたしと毎日、スマホで計測した歩数を報告して競い合っている。坂本和子さんのほうは、豊橋技術科学大学のマーケティング担当教授である。元院生で京都時代(京都工業繊維大学)のときから、わたしに会うときはいつもラブレターならぬ、京都のお土産を持参してくる。わたしを喜ばせるためだと理解している。
Chapter6 「一力(いちりき)の力」:山本英利子(直木賞作家・山本一力の妻&プロデューサー)
直木賞作家・山本一力さんとは、自転車の縁で知り合って結婚している。わたしが密かに「GMasW(general manager as a wife)」と呼ぶカテゴリーの王道を歩んできたのが、妻の英利子さんである。結婚後に大借金を抱えることになった一力さんを小説家に転身させ、その後もご主人の執筆や講演のマネジメントをこなす黒子の役割を担ってきた。英利子さんなしに、作家・山本一力のいまの成功は語れない。
山本さんご夫妻は、自転車乗りである。いまでも荒川土手まで、ランチボックスをもって自転車で仲良く出かけるらしい。その山本一力さんと自転車でよくすれちがっているのが、ランナー仲間の小林典子さん(認知症サプリメントメーカー、グロービア取締役)である。山本一力の小説を読んだことがないわたしに、山本一力の自転車話を教えてくれたのが小林さんである。写真で見てもわかるように、その辺を自転車を漕いでいても、直木賞作家の山本一力だとは誰も気が付かないだろう。それくらい普通の顔をしている。
Chapter7 「三つ星の、その先へ」:小泉瑚佑慈(こうじ)(ミシュラン三つ星・日本料理「虎白」店主)
小泉さんは、国内最年少でミシュラン三つ星を獲得。2016年から6年連続で、神楽坂の「虎白」は三つ星を維持している。料理人としての特徴は、料理を総合的にプロデュースすること。たとえば、容器には徹底的にこだわり、和食を基本にしながらフレンチや中華の食材も組み合わせる。個人技に走りがちな著名シェフとは一線を画して、客に喜ばれる料理を提供するためにチームの力を大切にする。若いながらも後進の育成に熱心である。
わが長男の由くん(惣菜メーカー、ロック・フィールド勤務)には、小泉さんが主役の第7章を贈りたい。現在は、神戸ファクトリーの生産部門に所属しているが、わが息子は、神戸コロッケやRF1のサラダの商品開発者だった。ふたたび商品開発部門に戻ったときには、あるいは独立してレストランのオーナーシェフになったときには、小泉さんの姿勢を参考にしてもらいたい。理想の上司ではないかと思う。
Chapter8 「「場」を作る、「ご近所」の強さ」:門司港アート・プラットフォーム(池上貴弘他、MAPのメンバー)
MAP(門司港・アート・プラットフォーム)は、シャッター通りに象徴されるように、地方都市のさびれていた商店街を舞台に、地域活性化のために生まれた緩やかな結びつきである。4人のメンバー(池上貴弘、岩本史緒、中村詩子、菊池勇太)が、空き店舗の再生事業や歴史的建造物の再生などを手掛けている。街づくりの核となる活動は、景観に関するアート志向である。この章だけは、チームとしての活動が描かれている。
本章は、いま世界初の「電動ヘリコプターメーカー」になろうとしている法政大学チーム(斎藤健司、御法川学、三浦義広)にプレゼントすることにしよう。開発の部隊は、わたしも研究員を務めている「法政大学アーバンエアモビリティ研究所」から、「eVTOL Japan株式会社」(齋藤健司代表取締役、株式会社アルファーアビエィション専務取締役)に移っている。事業内容は、航空機及び航空部品の設計、製造及び販売で、開発拠点は、 茨城県下妻ヘリポートにある。ヘリコプターの躯体は、米国ロビンソン・ヘリコプター社のもの。これにバッテリーを搭載して、電動エンジンで大空に浮揚させる。現在、事業への出資者(VC)を募っている。
以上、8つの章を11人の友人(元院生)と子供にプレゼントする。贈呈用の11冊の書籍は、すでに下町書房に発注済みである。受け取りは、7月上旬を予定している。お楽しみに。
最後に、全体を通しての評価を記して、本書の書評を終えたい。
本書の良さは、個人が起こした小さなイノベーションも、歴史に残るであろう大切な革新であることを、地方都市での事例を用いて紹介したことである。よく考えてみれば当たり前のことなのだが、個人の小さなイノベーションのほうが、企業が取り組んでいる大型のイノベーションよりも普遍性がある。また、市井の人々にとっては、身近であり取り掛かりが容易である。実際的な仕事にも参考になるだろう。
その意味では、これまでもありそうではあるが、実際にはいままで無かったアプローチではなかったかと思う。構成上も工夫が凝らされている。8章のそれぞれの配置は、全体としてバランスがよく取れている。願わくば、わたしのような研究者や企業内のビジネスパーソンが取り組んだ事例があると、もっと普遍的な議論ができたのではないかと思う。
つまり、わたしがプレゼント先として選んだ相手の事例なども採録すれば、さらに事例としておもしろいミキシングになったかもしれない。とはいえば、下町書房にとって初めての読み物として、本書は十分に成功していると考える。初本のリリース、無事に刊行できて、おめでとうございます。