劇団四季から、新作ミュージカルの観劇に招待された。場所は、竹芝の「四季劇場秋」。上演作品は、細田守監督の原作アニメ『バケモノの子』のミュージカル版だ。3年越しの約束で、「下町に移り住んだら、夫婦して着物で観劇に出かけよう」ということになっていた。しかし、退職前に仕事が忙しくなって、このアイデアが実現することがなかった。
わたしたち夫婦の間では、桂文珍さんの落語鑑賞(@国立劇場、年2回)が、着物で出かけるときの最有力候補に挙がっていた。ところが、コロナ禍で文珍さんの独演会はしばらく中止になっている。そこに、「4月30日から新作ミュージカルの上演開始」とのお知らせが、劇団四季・広報部からやってきた。
その昔、拙著『CSは女子力で決まる!』(生産性出版、2015年)で、創設者の浅利慶太氏の生き方と劇団四季のビジネスモデルを紹介したことがあった。その後も、四季の会員誌『ラ・アルプ』(2016年4月号)に、「日本のビジネスマンよ!『ライオンキング』を観よう!!」という観劇推奨記事を執筆させていただいている(https://www.kosuke-ogawa.com/?eid=3823#sequel)。
そんなわけで、新しい作品が上演になるときには、いまでもわが家には劇団四季から招待状が送られてくる。ただし、10年越しの「四季の会」のメンバーでもあるから、年間の観劇回数は相当なものだと思う(これには、四季の舞台を個人的にプレゼントすることも含まれている)。
今回の招待作品は、細田監督のアニメ映画のミュージカル化である。「日本発のアニメ映画をミュージカルの舞台に翻案するアイデア」は、4年前(2018年)の経営大学院の授業で、院生の何人かから提案がなされていた。やや迂遠になってしまうが、作品紹介の前にそのときの事情を説明することにしたい。
2018年度の「ビジネスイノベーター育成セミナー」では、劇団四季の吉田智誉樹社長を特別講師にお迎えした。四季の経営の成り立ちや基本的な運営方針などを授業で話していただいた。そして、講演の最後に、吉田社長から学生に宿題(課題)を出していただいた(問1:日本が世界に向けて発信するコンテンツは何か?)。最優秀レポートには、劇団四季の鑑賞券(ペアチケット)が贈呈されるという「おまけ付き」の課題だった。
最優秀レポートに選ばれたのが、佐俣和典くんの「日本発のアニメを海外をターゲットにしたミュージカルに」だった。このアイデアは佐俣君だけのものではなかったが、彼の説明がもっとも納得的だった。レポートの内容は、小川の個人ブログ(2018年3月22)で紹介されている(https://www.kosuke-ogawa.com/?eid=4544#sequel&gsc.tab=0)。
講義を担当する教師としてうれしかったのは、吉田社長が佐俣君のレポートを選んでくれた理由のひとつに、進行中の新作企画(細田作品のミュージカル化)があったことを後になって知ったからだった。吉田社長たちは、アニメ作品のミュージカル化を狙っていたのである。ディズニー作品など海外ミュージカルの翻訳劇は、それ自体は素晴らしいのだが、いつまでも文化的に依存しすぎるのはいかがなものか。そんな風に四季を見ている日本人のファンも多いのではなかろうか。
前置きはここまでにして、「バケモノの子」の作品評について述べてみたい。
『CSは女子力で決まる!』の「第7幕 劇団四季」を執筆するため、創設者の浅利慶太さんの著作をたくさん読むことになった。7年ほど前のことである。正確な表現は忘れてしまったが、浅利さんのミュージカル観(世界観)は、彼のつぎの一言に象徴的に表れていた。
「ミュージカルを観たあと、自分たちがこの世に生まれてきてよかった。生きていることは素晴らしい。そう思える作品を上演するのが四季の存在意義」(原典が見当たらないので、表現はやや不正確かもしれない)。同様な説明を、後継者となった吉田社長は、インタビューで次のように述べている。
「(前略)それゆえ上演作品の選定が非常に重要になります。四季では、その作品が『人生を肯定するメッセージをもっているか』ということを大切にします。ご観劇の後、『人生は素晴らしい』『明日も前向きに生きていこう』と感じられる作品が、一番お客さまの心に強い印象を与えると思うのです」(「吉田智誉樹社長に聞く:劇団四季はなぜ、高い支持を得る作品を上演し続けられるのか」(『電通報』2015年5月24日)。
ミュージカルの鑑賞は、人生を肯定的にとらえる態度を促す。そうした四季流のミュージカル作品の選定基準からすると、「バケモノの子」は100%合格である。縦糸に、バケモノ(熊徹)と人間の子供(蓮)の絆を、横糸に、人間の子たちの成長と出自についての苦悩を織り込んで物語は展開する。多くの困難に直面しながら、バケモノの大人と人間の子供たちがともに成長していく様が、歌と踊りと演劇の舞台で表現されている。
最後のカタルシス(心的な浄化)は、激しい闘いが終わって和解の場面で現れる。原作を読んではいないが、細田アニメ作品が、四季のミュージカルでも上手に再現できているのではなかろうか?ブログ読者のために、あらすじを、劇団四季のパンフレット(「キミとなら強くなれる」)から抜粋しておくことにする。
「バケモノの子」は、四季のミュージカルとしては、かなりの長尺モノである。上演時間は、前半が70分。20分の休憩をはさんで、後半が75分。舞台は、3時間弱の長丁場になる。このステージの長さだと、観衆の集中力がやや緩んでしまうのかと思いきや、そんな懸念は杞憂だった。
4月30日が初演で、わたしたちが鑑賞したのが5月7日。昨日が、舞台のオープニングからで6日目だった。歌と踊りとセリフの間合いが、演者同士で少しだけかみ合っていないところも、気のせいかかいま見えたように思う。しかし、それはいずれ解消していくだろう。日本発のアニメコンテンツをベースにした四季のオリジナル演目が、ロングラン公演になることは間違いないと感じた。
もちろん、わたしの涙腺が何度も緩んで、いつものようにウルウルになったことを白状しておく。だから、四季の観劇は辞められない。最後にネタバレにならない程度に、パンフレットに掲載されている「あらすじ」を紹介しておく。
<ストーリー>(パンフレットから)
バケモノ界・渋天街(じゅうてんがい)に迷い込んだ一人ぼっちの少年・蓮(れん)は、乱暴者のバケモノ・熊徹(くまてつ)と出会い弟子となり「九太」と名づけられる。熊徹はバケモノ界を束ねる次期宗師(そうし)を、強さも品格もある宿敵・猪王山(いおうぜん)と争うことになり、九太と共にぶつかり合いながら修行を重ねる。
猪王山の息子で九太と同世代の一郎彦は、自分にはバケモノらしいキバが生えてこない悩みを抱えていた。バケモノと人間のあいだで「自分は何者か?」と揺れ動く九太。ある日偶然人間界に戻った九太は高校生の少女・楓と出会い、自身の生きる道を探し始める。やがて人間とバケモノ、二つの世界を巻き込んだ地軸を揺るがす大事件が巻き起こる。