書評:佐野眞一(2009)『新 忘れられた日本人』毎日新聞社(★★★★)

『カリスマ』(中内功)を著したノンフィクション・ライターの手による「脇役たち」の物語である。佐野眞一は、団塊の世代に属する作家である。業界紙の記者から出身で、政治家や企業家についての著作をたくさんもつ。主人公の周囲にいた脇役にフォーカスした連載を、サンデー毎日で発表していた。


本書は、50回の連載をまとめたものである。戦前・戦後に活躍して、いま忘れ去られようとしている50人の脇役たちが登場する。わたしにとっても、ほとんどがなじみの無い人物ばかりである。
 企業物語の主人公である藤田田や江副浩正、中内功ならばよく知っている。その周辺にいて、藤田や江副と切っても切れない関係にあり、彼らの人生に影響を与えたり、時代を席巻したきら星たちの人生を側面から支援した名脇役たちがいたのは、ほとんど知らないだろう。彼らが、戦中・戦後を通して、どのように生きてきたかを読者に示しながら、まさに歴史の記録から消えようとしている日本の裏面史を綴ろうと意図している。
 佐野眞一は、年齢がもっと若いと思っていた。実際は、還暦をすぎた団塊の世代に属している。おどろきだった。そういえば、作家として佐野がとりあげている対象や人物は、戦前・戦中に起源をもつ話や取材先が多い。おもしろいことに、50回分のこぼれ話の集積が、佐野のルポライターとしての軌跡をくっきりと映し出している。

  わたしは、政治やヤクザの話にはあまり興味が無い。暴力や権謀術策が、本質的に好きではないからである。子供の頃に、中学校の教師に暴力を振るわれたり、高校の校長から、停学処分を言い渡されたことがある。大学教授の仕事はしているが、教師はきらいだった。大学では、研究者として生徒を教育をしてきたつもりである。わき道にそれてしまった。
 繰り返しになるが、田中角栄や竹下登、小渕恵三はまあどうでもよい。昭和天皇の若き日を綴った「皇室こぼれ話」も、厚い本ゆえに、細部は読み飛ばしてしまった。ヤクザや風俗の起源(滋賀の雄琴ソープランドの発祥話)はおもしろいが、それは知識として興味深いだけである。この手の挿話に関しては、圧倒的な感動や印象としてあとに残るものはあまり無い。
 わたしが反応をしたのは、やはり企業家たちに関わる記述である。気になった脇役たちを主人公と一緒に何人か、ここでピックアップしてみる。なお、いま読んでいる本の所有者である渥美俊一先生(わたしは『経営情報』の書評候補作品とし、先生から佐野作品を貸していただいている)が、ポストイットをはさんだ章と、わたしの興味はほぼ重なっている。
 
1 中内功の盟友・上田照雄
 「ウエテル」と呼ばれていた精肉業者の話である。草創期のダイエーが、安売りの牛肉の仕入に困ったとき、中内を助けた男である。ウエテルが死んだとき、中内は号泣したとある。晩年の中内がダイエーの事業継続に失敗したのは、若かりし頃の盟友を失ったから?

2 光クラブの山崎晃嗣、太宰治と藤田田
 山崎と太宰は自らの手で命を絶っている。そのきっかけを与えたのが、藤田田ではなかったのかというエピソードが紹介されている。ふたりが自殺する(太宰はこのときは生き延びる)前夜、藤田が「責任をとるつもりなら、死んだら」と言ったという。推測が正しいとすると、藤田田の人間像、心象風景を象徴している事件ではある。

3、二人の経営者に仕えた河島博
 河合楽器(川上源一)とダイエー(中内功)に請われて最高経営者に就任しながら、三顧の礼で迎えてくれた、そのワンマン経営者に川島は疎まれる。両社の業績V字回復に貢献しながら、突然ふたりに解任された有能なビジネスマン経営者の悲劇が語られている。事の顛末については、黙して語らない河島の態度はすばらしい。

4、真のスーパーの草分け・吉田日出男
 日本の戦後流通史に詳しい人なら誰でも知っている人物。戦後の九州小倉で、「丸和フードセンター」を立ち上げた男が吉田である。「主婦の店」運動で、戦後日本の食品スーパーの基本フォーマットを作ったのは、吉田の功績だった。その後の成長過程で、吉田も主婦の店運動も、中内ダイエーの影に隠れてしまった。

5、レジスターの伝道師・長戸毅
 日本ナショナル金銭登録機(現、日本NCR)の企画課長で、丸和フードセンターの吉田らを技術面で支えた人物が、長戸である。当時、日本NCRの課長だった長戸は、金銭登録機を普及させるために、子供だましのテクニックを使っていた。その手品もどきの所作が紹介されていておもしろい。

 真実は、それでも闇の中である。佐野作品の信憑性を、わたしは盲目的に信じることはできない。ルポライターやジャーナリストの視点は、常に主観的である。情報やデータの集め方は、作家自身が書きたいことを機軸に収集される。わたしの手法もそうだからである。
 佐野作品は、どちらかといえば、メインストリーから生まれた副産物である。事実は深刻な劇なのだが、こぼれ話として読めば、本書はごく軽くに読める本ではある。