最後は評価の「★」が4つになってしまった。読み出した時点で、この本はまちがいなく「★5」だと思っていた。ところが、200頁を過ぎたあたりから、読者として読み進む気持ちが萎えてしまった。第3部(バブルの1990年代)を過ぎたあたりから、畑中さんの筆致に冴えがみられなくなったからだった。
思うに、畑中さんご本人も、2000年以降のフードファッションの動向には、本音では興味を失ってしまったからではないのか。日本のファッションフードが輝いていたのは、米国からファストフードが入ってきた1970年からの20年間。
あのころ編集者として、著者は食ジャーナリズムの第一線で活躍していた。主戦場にいたので、挿話も具体的でビビッドだ。わたしがそうであるように、あの時代を知っている人間からしても、「食の最前線ではそんなことがあったのだ」と感激してしまう。
その後に起こった食のトレンドは、70年代の亜流で基本的にダイナミズムに欠けている。わたしが著者ならば、第3部(「自己増殖」の1990年代)と第4部(「拡散する」の2000年代)は、ひとまとめに括ってしまうだろう。
正直に言えば、最後の100頁を読むのは退屈だった。年代史的に出来事が並んでいるだけで、歴史的な解釈がほとんどなされていないからだろう。公平にいえば、それは畑中さんのせいではない。日本の食文化がおもしろみを失ったからだと思う。
本書のおもしろさは、”はじめに”のあとに続く「ファッションフード前史」と「第一部 加速するファッションフード」に尽きる。前史はものすごく勉強になった。主役は、日本人の女性。時代とともに女性の働き方が変わり、それが調理と食事の意味を、生存のための栄養補給からファッションに変えていく。
もうひとつの学びは、初期の雑誌媒体(「アンアン」「ノンノ」)の普及が食をファッションにしたことだろう。それを今風に解釈すると、マス媒体が一時期のような力を失って、SNS(とくにインスタグラム)が情報の有力な発信源になっていくことを予感させる。
それでは、この先、日本人は何を食べて生きていくのか? 誰とどんな場所で食事をするのか? どんな食材のどんな調理法をうれしいと感じるのか? さらには、日本人の日常食(家庭料理)はどのように変わっていくのか?
畑中さんには、ファッションフードを下敷きにして、この問いかけに応えてほしかった。そして、「和洋中+アジアンフード」の日本は、たしかに世界に和食(+ラーメン、カレー、てんぷら、牛丼などの折衷食)を輸出している。行き着く先の食文化がどのように変わるのか? 少しばかりの示唆を得たかった。