【新刊紹介】 三浦しをん(2013)『政と源』集英社(★★★★★)

 直木賞作家には、ふつうの作家とすごい作家がいる。三浦さんは、「本物の」直木賞作家だ。2006年に29歳で直木賞を受賞している。まだ30代だと思うのだが、この年にして老境に入った人間の感覚がわかるのだからすごい。読み進むうちに、「37歳の若い女性が、どうして73歳の男性の気持ちに乗り移ることができるのか」不思議に思って読んでいた。


小説の舞台は東京下町。台東区の河岸にあるY町で事件は起こる。友情物語の主人公は、Y町の住人で73歳の幼馴染ふたり。元銀行員で妻に捨てられた有田国政と、20年前に妻に先立たれて天涯孤独のつまみ簪(かんざし)職人、堀源次郎。国政も源次郎も70歳を超えてのひとり暮らしなのだが、自分の暮らし方に対して二人の間では屈託のありなしにちがいがある。
 つまみ簪職人の源次郎には、若い弟子の徹平がいる。徹平の彼女のマミも、ふつうに源次郎の家に出入りしている。天涯孤独のはずなのだが、飾らない生き方だから皆に好かれて屈託がない人生を送っている。国政は銀行員としてエリート人生を歩んできた分、ひとりの生活になると精神的にも屈折している。しかし、お笹馴染みのふたりは、心底は仲良しだ。
 6つの短編(「1 政と源」~「6 Y町の永遠」)の中で描かれているのは、東京下町の人たちの生き様とその生活感だ。古き良き時代の東京は、いまも台東区や葛飾区や中央区に残っているのかどうかはわからない。いや、たぶんちがう形では存在しているような気はする。

 わたしの妻方(奥村家)の実家は、葛飾区立石にあった。腕の良い旋盤工で精工舎(セイコー)の時計職人だった義父は、若いころは肩で風を切って街を歩いていたにちがいない。その姿が想像できる人だった。美男子で足の速い小柄な男の子は、若い娘たちをキャーキャー言わせていたにちがいない。そう、源次郎のような荒々しさを持った性格の人だった。
 たぶん、義父(奥村正太郎)が一人で生活をせざるをえなくなったとすると、国政のような一面ももっていたかもしれない。旋盤工とはいえ、一部上場会社に勤務して、韓国に技術指導に選ばれて行ったエリート技師ではある。

 本書の筋書きをくどくどと説明するまでもないだろう。物語は落語の世界か、山田洋二の寅さんの話のようにおもしろい。少ない登場人物の日常的な会話のやり取りから読みとって欲しいのは、下町の人情である。人生の悲哀と滑稽さと慈しみがテーマだったと、物語の最後にわかるようになっている。
 日常生活の会話から晴れの舞台(徹平とマミの結婚式)へ、巧妙な演出とセリフでつないでいく筆者の腕はさすがである。仲のよくなかった夫婦の国政と清子が、若い二人の仲人をする結婚式のシーンでは、登場人物たちのドジと間抜けさが最高におかしくて転げ回りながら、思わず目頭を濡らしてしまう。
 「源と政」は、現代版の山田洋二作品だ。そして、気のせいだろうか、源次郎も国政も、寅さんよりは内面的に知的な匂いがする。