一昨日の午前中に、分厚いビジネス書の翻訳を終えた。息抜きのつもりで、午後からは、石井先生から贈っていただいたブランドの本を読み始めた。昨日午後14時に、7時間をかけて400頁弱の大作を読み終えた。連日の分厚い本(英語と日本語)との格闘で、やや疲れ気味である。というわけで、今回の書評はいつもより短めにしたい。
巻末の参考文献に掲載されている書籍を二冊、アマゾンでオーダーした。社会学入門(大澤真幸『社会学史』講談社現代新書、2019)とオートポイエティックに関する参考文献(サラスバシー・サラス『エフェクチュエーション』碩学舎、2015)である。したがって、以下の第3部の評価は、わたしの暫定的な判断である。基礎文献を読んでから、最終的な評価としたい。
本書のタイトルが示しているように、ブランドには「進化型」と「反進化型」があるとされる。本書では、「進化するブランド(群)」とその特性を取り上げている。進化型のブランドの基本的な特徴を、①オートポイエティック・システム論と、②「中動態」の言語表現(コトとしてのブランド)で説明している(第2部、第3部)。その逆のブランドタイプを、「反進化型」(進化しない静的なブランド)と呼称している(第1部)。
①「オートポイエティック(システム)」は、社会学と哲学に基礎を置く概念らしい。評者もいまだ100%理解できているとは思えない。オートポイエーシスは、「オート」(自己)+「ポイエーシス」(生成)=自己生成(産出)を表す社会学の用語である。その昔に、マーケティングや組織論でよく使われていた「自己組織化」と近い概念と評者は理解した。
ただし、対象となる組織(システム)内のメンバー(ブランドの担い手)が、相互作用して組織が変貌することは、かつての自己組織化の理論ではあまり明示されてはいなかったように思う。そこはなんとなくだが、新しいような気はする。記憶をだどっているだけなので、間違った解釈かもしれない。
ちなみに、第1章は、現代ブランド論の概論を与えている。わたしたちが、ブランド論の入門テキストでいまでも知ることになる概説部分である。また、第3部では、日本型のブランド論が展開されている。この部分が、筆者が強く主張したいところのようだが、わたしにはいまひとつピンとこなかった。正直な感想である。
その理由は3つである。第一に、第2部の事例で示されているようなブランド(阪急、カゴメ、無印良品、ゴールドブレンド・バリスタ、エーザイなど)が時とともに変質していく(進化する)ことは、ごく当たり前の事象ではないのか?とりわけ成功したブランドであればあるほど、環境の変化に対応していくことを自然に考えるだろう。そもそも初期値が素晴らしいのだから、そうできる優位性もある。
第2に、自己生成する組織とはいえ、外界の環境から独立なシステムなど存在しようがない。外界からの独立性は、単なる程度の問題なのではないのではないか。極端な想定(内部のインタラクションで自己生成する)は程度の問題なのか、新しい理論なのかはわたしには判断がつかない(参考図書の到着を待つ)。
第3に、日本的な文化特性をもって進化を遂げているブランド(ゴールを持たずに成長する生物のイメージ)は、それほどCultureBound(文化由来)なのかどうか?世界を見渡してみれば、小売業やサービス業のような「現場」が重要な意味をもつ企業では、ブランドは、従業員やベンダー、顧客など(ステイクホルダーたち)の熱意によって支持され、変質していくのではないのか?わたしのマネジメントに関する常識では、ブランドはダイナミックなシステムとしては文化フリーである。
日米で文化的な背景は異なるが、無印良品VSウォルマート(ホームデポ)の対比、マクドナルドとエーザイ(阪急)の比較など、従業員や経営者のブランドに対する想いとその変容は、近しいものがあるように感じられる。
もちろん、「ブランドの進化」という概念と、進化型と反進化型のブランドのタイプ分けは、ブランドの変容を説明する枠組みとして有効だと考える。また、社会学(オートポイエティック)や言語学(中動態)のブランド論への援用は、それ自身は知的な刺激を与えるものである。ひとりの学者としては、とても興味深く感じたところではある。
以上、参考図書を読む前の感想である。昨日アマゾンで頼んだ本が、明日には到着する。再度、第3部を読み直してみたいと思う。