書評:木村秋則(2009)『リンゴが教えてくれたこと』日経プレミアムシリーズ(★★★★★)

斜め読みを入れると、年に50~100冊の本を読んでいる。仕事上で役に立つ本は多いが、それでも心から感銘を受ける本はそんなに多くはない。年に1冊あるかないかである。木村さんの著書『リンゴが教えてくれたこと』は、しかし、ひさしぶりに大きく心を動かされる一冊だった。


この数年間で、植物(花や野菜)の認証会社を興したり、有機農産物のマーケティングに関する書籍を著してきた。農産物の栽培について詳しいわけではないが、農業分野の基礎的な知識は、文科系の研究者としては、比較的あるほうだと自負していた。しかし、農薬は当然のこと、堆肥も使わずに、りんごや米を栽培する技術があることは知らなかった。有機農法が、この世の中でもっとも自然な栽培方法だと思っていた。そうではなかった。もっと自然な栽培方法があった。「木村農法」である。ご本人は、自らの栽培方法を「自然栽培」と呼んでいる。
 この手の話は、端から眉唾ものだと思ってしまうものである。しかし、木村さんの仕事ぶりは、そうした疑念をさしはさませない。なぜなのか?本書を通読すればわかるが、それは、木村さんの実践と理論が自然体だからである。木村さんの言葉には説得力がある。「どこか変だな」とわたしたちが考えている不思議さに、畑や虫を観察することで対峙しているからである。「どこかおかしい」(農薬や化学肥料は、人間の健康体を脅かし、動植物が生存する環境を汚染する)とは思っても、近代的な農法に対する代替案をわたしたちは持っていない。正しくは、知らされていない。木村さんが見つけた疑念への解答は、つぎのような観察法であった。
 じっとリンゴ畑で起こっている劇を見るとよい。昆虫やバクテリアが演じている戦いを、根っこや葉っぱが作っている循環の流れを理解できる。農薬や肥料の使用は、自然界の営み、すなわち、水と土と光の循環を遮断してしまう。農薬は益虫を殺す。だから、過多な窒素分を土に補給する代わりに、リンゴの木の隣に豆を植える。農薬と肥料を使うことを止めることで、自然の循環と機能は甦生する。木村さんは、素直にそれを実践しようとした。しかし、農業集落から狂人扱いを受ける。自然農法には、近代的な経営を目指すリンゴ農家は、だれも挑戦したことがないからである。
 木村さんの実践は、農薬も肥料も使わないで、水と空気と光だけでりんごが立派に収穫できることを示した。本書は、その壮大な実験を描いた自伝である。リンゴ畑を無農薬・無肥料にしてから11年目のことである。無農薬のゆえに、いつも虫だらけで、雑草が生え放題のリンゴ畑の木から、夏になるとリンゴの葉がすべて落ちてしまう。そのリンゴ畑に、ある日、白い花が咲く。そして、その秋には、はじめて小さな2個のリンゴが実る。
自然農法で、リンゴの収穫ができるはずはない。農薬を使用せず、しかも肥料無しで、立派にリンゴを作ってしまう。そのリンゴは、驚くべきことに、何年も腐らないのである。はじめてのリンゴ収穫から数年後には、リンゴ畑の一面に収穫物がたわわに実るようになる。従来型の農法と、採算性の点でもほとんど変わらない。余計な投入物(農薬と肥料と雑草取り)がない分、自然栽培は経済的なのである。
 木村さんの苦闘の歴史は、実に心を打つ感動の物語である。無農薬・無肥料のりんご栽培に成功した木村さんは、つぎに稲作にも無農薬・無肥料で挑戦する。日本の農業の未来を考えるとき、木村さんの方法を真剣に検討されてよいのではないか?近いうちに、青森のリンゴ畑を訪れてみたいものだと思っている。