本書の初っ端(はしがき)から、驚きの事実を知ることになった。教科書が読めない(文字を正しく、疲れずに読めない)子供たちが5~8%程度、例えば、35人学級だとクラスに2~3人はいるという事実である。
専門用語では、「ディスクレシア」(発達性読み書き障害)と呼ばれる学習障害の一つである。ディスクレシアの子供たちには、教科書の文字が、ゆらいだり、ねじれたり、反転して見える。そのため、通常の書体(フォント)では、文字の読み書きに困難を感じることになる。
知能レベルや知識が欠如しているわけではない。ただ、会話を文字にすることや、文字を読み上げることに苦労を感じているだけのことである(P.6)。このことは、一般人にはほとんど知られていないが、わたしには思い当たる節がある。
強度の色弱のわたしは、子供の頃に色盲検査表が判読できないという困惑を経験していた。そのことは、いまでもわたしの心に深い傷になって残っている。だから、ディスクレシアの子供たちの気持ちがなんとなく理解できるような気がする。
本書は、教科書が読めない生徒たちのために、一般に使われている明朝体やゴチック体ではない、「UDデジタル教科書体」というフォントを開発した女性の物語である。
「UD」とは、ユニバーサルデザイン(Universal Design)の略で、「文化・言語・国籍・年齢・性別・能力の違いを問わず、より多くの人が利用できるデザインのこと」である(P.11)。
よく知られているUDの事例としては、日本語の文字が読めない外国人や視覚障碍者のために、伝えたい情報をピクトグラム(絵文字、図記号)で表示する方法である。ピクトグラムは、トイレや非常口など、身の回りの案内標識に使用されている。
著者の高田さんは、文字フォントを作る「書体デザイナー」である。女子美術大学の短大を卒業して、アルバイトが縁となり「タイプバンク」(林隆男社長)に就職する。書体デザイナーとしてフォント開発の仕事に従事しているとき、教科書が読めない子供たちのために、「TBUDフォント」を開発することになる。
その後、UDフォントを開発した会社が、創業者(林社長)の死去で会社を身売りすることになる。しかし、著者は、そうした苦難の中でも、視覚障害を持った子供たちのために「UDデジタル教科書体」の開発を継続していく。血気迫る著者の姿に、決して諦めなることがない強い意思を感じた。
現在の著者は、移籍先の「モリサワ」で、UDデジタル教科書体の普及活動に従事している。
本書とは偶然の出会いだった。ある本の注釈で引用されていたので、なんなく気になって本書を読んでみたいと思い、すぐにオーダーを入れてみた。
読了してみて、評者はたくさんの人に本書を読むことを推奨したい。世の中には、教科書を読むことに困難を感じている子供たちが少なからず存在している。彼らの困難を取り除くため、問題解決に努力している専門家がいることを知ることができるからだ。
フォントの制作など、わたしはアート(美術)の世界の話だとばかり思っていた。しかし、ディスクレシアの子供たちは「読みにくいフォント」に囲まれていて、それには科学的にきちんと説明できる理由があることを本書で知ることになった。
著者とその支援者たちの素晴らしいところは、感覚的にではなく、科学的にアプローチしていく姿勢だろう。高田さんは、慶應技術大学の中野泰志教授からそのことを気づかされる(「コラム1」で、中野先生の考え方を知ることができる)。
なお、著者はかなりの幸運にも恵まれている。
たとえば、自らが開発したフォントを持って移籍した先の「モリサワ」の田村猛シニアディレクターや森澤武士常務(「コラム2」で、田村氏がUDデジタル教科書体の普及について解説してくれている)。この二人は、高田さんが開発したフォントを営業的に成功に導くことに貢献してくれた人物である。
また、最初に就社したタイプバングの林社長や、大阪医科薬科大学の奥村智人博士なども、高田さんのキャリア形成に深く関わってくれている(「コラム3」で、奥村博士がディスクレシアの子供たちの存在と当初は普及が進まなかった背景を解説してくれる)。
本書のタイトルが示唆しているように、「UDデジタル教科書体」は奇跡のフォントなのかもしれない。一人の開発者とその普及を促進した支援者たちとの偶然の出会いと共鳴がなければ、この世に存在していないだろう。結果として、ディスクレシアの人たちの視覚障害の一部を取り除くことができることになった。
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