【書評】 松井剛編(2019)『ジャパニーズハロウィンの謎:若者はなぜ渋谷だけで馬鹿騒ぎをするのか?』星海社親書(★★★★+★)

 4月に学生の課題図書として、本書の感想文提出を義務付けていた。一橋大学の松井教授編の「日本のハロウィン現象」を扱った書籍である。申し訳ないことに、新型コロナのどさくさとわたし自身の新刊発売の忙しさにかまけて、25人への感想文へのコメント書きが大幅に遅れていた。

 

 本日、ようやく自由な時間が生まれたので、全員分の採点をはじめている。おもしろい本で、わたしの評価は、★4+★1である。本来は、4つ星である(笑)。しかし、なにせ現役のゼミ生が書いた原稿を、松井さんが編集したものである。学生がこれだけの筆力を発揮できているのだから、当然、★は5つになる。

 

 さて、本書は、「日本のハロウィン現象」を社会学とマーケティング論(消費者行動論)の視点から分析した書物である。学生の1年間のフィールドワーク(2018年~2019年)を整理してまとめたものである。

 もともとケルト人(アイルランド人、イングランド人の祖先?)の宗教行事だったハロウィンは米国に渡り、宗教色を失った(脱神聖化)。そして、クリスマスのように、子供のお祭りに変わったのが米国のハロウィン行事である。米国に渡ってパンプキンに変身する前の「ジャック・オ・ランタン」は、欧州ではカブに穴をあけて作っていたらしい。

 日本にハロウィンが本格的に渡来したのは、1990年代のはじめである。メディアの影響もあって、日本のハロウィンのイメージは、わけのわからない「馬鹿騒ぎ」に変わったと、著者のひとりの女子が自身の米国滞在中の経験と比較して述べている。わたしも同様に、80年代初頭の米国留学中に、ふたりの子供たちが、「トリック・オア・トリート」と言って、近所を練り歩いてお菓子を集めているのを見ていた。

 

 日本のハロウィンの現在は、それとは違った形に変わっている。折衷文化を作るのが上手な日本人による「3次創作」(欧→米→日)とでも言うのだろうか。しかし、渋谷のハロウィン風景しか知らなかったわたしは、異なるバージョンとして、川崎や池袋にも、長く続いているハロウィンイベントがあることを初めて知った。もっとも、キッザニアが日本におけるハロウィンパレードの発明者であることは事前知識として知ってはいたが。

 日本におけるハロウィンの分化に関する分析の詳細については、松井ゼミの学生たちのフィールドワークのレポートをご覧いただきたい。松井さんの指導の下、分析は実に見事に仕上がっている。一点だけ、分析の視座として欠けている点を指摘したい。それは、①日本における祭りの意味(カタルシス)と、②地方から祭りが消えている現象(経済的な活力の衰退)が、渋谷のハロウィンのバカ騒ぎを生み出しているという視点である。

 そもそも、米国におけるハロウィンは参加型のお祭りである。とくに、家族文化を基盤にした地域の祭りと位置づけられる。そうした民俗学的な観点からハロウィンを眺めてみると、日本人と祭りが別の意味を持ってくる。例えば、おかめやひょっとこのお面である。天狗伝説なども、仮装文化の一類型あることがわかる。

 ストレスを開放・発散させる場としての渋谷の街は、昔から日本の地方文化に存在していたのではないだろうか。