短評:石井淳蔵他(2009)『ビジネス三國志』プレジデント社(★★★)(『経営情報』書評欄:2009年8月号)

評者の父・小川久の書棚には、吉川英治の『三国志』(吉川英治文庫)の全巻が納まっていた。蜀の軍師・諸葛孔明の知恵に感服した父は、「孔明」から一字を租借して、長男のわたしに「孔輔」という名前を与えた。「輔」は、輔弼(アシスト)の意味である。孔明や三国志は、わたしにとってはなじみのある対象でありテーマである。


紀元前200年ごろ、魏・呉・蜀の3国は、中原をめぐって覇権争いを繰り広げていた。一対一の戦いとはちがって、3者が争うときには、連携、仲介、中立、裏切り、寝返りなど、智謀術策の争いとなる。ビジネスの戦場に、三国志の競争ルールと現実を当てはめようとしたのが著者たちの意図である。登場する6つの業界は、以下の通りである。
 1「プレミアムビール」(サントリー、サッポロ、キリン、アサヒ)
 2「ハンバーガー」(マック、モス、ロッテリア)
 3「モバイルPC」(パナソニック、ソニー、レノボ)
 4「健康茶」(花王、サントリー、伊藤園)
 5「ベビー用紙おむつ」(ユニ・チャーム、花王、P&G)
 6「家庭用ゲーム機器」(任天堂、ソニー、マイクロソフト)
 三国志からマーケティングの戦い方を学ぼうとする着想はおもしろいのだが、その成果はいまひとつである。その理由を考えみた。三国志のおもしろさは、3国間の競争によって生まれる戦いのダイナミズムにある。著者たちが「あとがき」で指摘しているように、2者を取り持つ「中立者」や「媒介者」が、その後に「漁夫の利」を得る。ところが、漁夫の利を得たかに見える勝者が、つぎの瞬間には敗者に転落する。戦いのダイナミックは3国(企業)間に人的な交流がある場合に生まれる。市場での戦い(マーケティング要因)だけでは、どんでん返しには転化しえない。
 そうだとしたら、取り上げるべき業界と企業は、他に適切な対象があったのではないのだろうか?わたしが「ビジネス三国志」の著者ならば、交渉と駆け引きが生まれる「企業買収」の事例を追いかけたであろう。流通業界には絶好の事例が存在している。百貨店業界(伊勢丹・三越)、ホームセンター業界(DCMの合併)、ドラッグストア業界(イオンとCFS)などである。業界内での人的な交流とベンチャー経営者たちが活躍する新興業界(ネット業界、情報通信業界、宅配業界)のほうが、三国志の世界観を忠実になぞりやすそうではある。