【書評】 ダン・ハーバー/訳・小坂恵理(2015)『食の未来のためのフィールドノート・上: 「第三の皿」をめざして:土と大地』NTT出版(★★★★)

 一年前に購入して、机に並べておいた『食の未来のためのフィールドノート(上・下)』にようやく目を通すことができた。著者のダン・ハンバーは、ニューヨークにある3つ星レストランのシェフ。穀物農家や畜産家、養殖場や育種家たちと交流を深めながら、料理と農業の一体化をめざす。

 

 本書を読むことになった動機は、マイケル・ポーランの一連の著作である。

 たとえば、マイケル・ポーラン(2015)『これ、食べていいの?ハンバーガーから森のなかまで~食をえらぶ力』河出書房新社。昨年度、ゼミの学生に感想文を提出してもらった作家(ポーラン)の本は、トウモロコシ栽培と畜産業の関係を、これでもかというほど厳しく指弾する本だった。

 本書では、有名シェフのダン・ハーバーが、現地のフィールドワーク体験から、持続可能な農業と美味しい料理の関係を探っていく。ノンフィクションの訪問記の体裁で書かれている。ポーランがジャーナリストの視点から、農業と食品産業の密接な関係をえぐっていくのに対して、シェフのダンは、美味しい料理とバランスのとれた農業の体系について、味と健康の視点から解明を試みている。

 わたしが午前中に読み終えた(上)は、タイトルが「土と大地」となっている。実際のコンテンツの中心は、「小麦」(一部はトウモロコシ)と「ガチョウ」(イベリコ豚)の物語である。本にはいろいろな読み方がある。多様な解釈が可能ではある。評者としては、本書を「20世紀の農業と食品産業がたどりついた調理革命の行きついた先」の解説本として読むことができた。

 誤解を招くくらいシンプルに、本書の立ち位置を解説してみる。今回は解説本ではないので、コアな部分の印象記を記すことにする。

 

 「第一部 土」は、小麦が品種改良され、大量生産された結果、欧米人(人類)の食生活がどのように変化したかについての話である。本書の筋(シナリオ)を単純化してしまえは、つぎのようになる。

 コメを除いた地球上の二大作物、小麦とトウモロコシは、品種改良と化学肥料・農薬の発明によって、30年間で生産性が2倍から4倍になった。化学肥料(リービッヒによるNPKの発見)と農薬の発明(害虫駆除)によって、農業がモノカルチャー(単一栽培)に変わる。

 その結果、土壌のバランスが崩れて、作物の栄養素から美味しい要素(香りや色彩、微量栄養要素)が抜け落ちてしまった。生産性は高くなり、深刻な飢えの一部は解消したが、まずい食事が主流になる。そして、米国人にとって深刻な健康問題が発生した。肥満やアレルギーが蔓延するようになった。

 グリーン革命がもたらしたもう一つの帰結は、加工食品産業が、穀物を部位ごとに分解したことである。労働における分業化の食物版である。たとえば、石臼に代わって高速回転の製粉機が誕生したおかげで、「小麦産業は大きく発展したが、機械を使うと小麦が胚芽や外皮や胚乳といった部分にそれぞれ分離されてしまう」(56頁)。

 その結果もたらされたのは、精白小麦粉を効率よく他の成分(胚芽や胚乳、油脂分)から分離することだった。一挙に安価になって、保存性が効くようになった白い粉は、均質で長距離輸送に向いていた。しかし、分離後の白い粉は、無味無臭で炭水化物の塊にすぎない。香りと味蕾を刺激する何とも言えない食味を失ったのだった。

 美味しい食生活は、自然を総合的に楽しむことで享受できる。しかし、近代農業と食品加工産業は、安さを目指して生産効率に走り、部品産業化して、食材の水平分業に傾斜していった。皮肉なのは、わたしもそうなのだが、胚芽から失われたビタミンBをサプリメントで補充していることだ。大きな消費財産業を、分業化された近代工業社会は生み出している。

 

 「第二部 大地」では、フォアグラ用のガチョウのことを語りながら、同じく家畜をパーツに分解することの是非について述べている。もちろん、現実は、小麦やトウモロコシと同じように事態は進行している。

 たとえば、鶏をブロイラーにしてケージ飼いにしてしまえば、トウモロコシの餌だけで効率よく育つ。しかし、動物愛護以前の問題として、単一の飼料で飼われた鶏肉の味は「味気ないもの」になる。ここでも、加工食品産業が求める鶏の必要な部位(チキンマクナゲット!)が、その他のあまり人気のない部位と分離されて流通している。

 マクドナルドなどのフードビジネスが産業化できた理由は、食品加工産業の発達のおかげだ。だから、分離されて余った部位(内臓や硬い胸肉はホルモンの原料にはならず)は、飼育牛や養殖魚の餌になる。牛は草食動物なのに、残飯のたんぱくを食べたから、狂牛病が発生したのだが。余った部位こそ、もっとも栄養価が高くて、おいしい部位であるにも関わらずにである。

 第二部のもうひとりの主役は、スペイン産のイベリコ豚である。イベリコ豚のハムが美味しいのは、彼らが草原に自生する樫の木が地面にこぼしたドングリを食べているからだ。スペインの山岳地方にある痩せた土地でも、生態系はそれなりにそろっている。肥沃でないことが、高い生産性の農業をあきらめさせた。

 結果として、フォアグラも天然に近い形で、イベリコ豚も自然な形で育てられるようになった。草原で放牧されているのだ。米国人は初期のころ、開拓時代の中西部に肥沃な大草原を賦与された。豊かな自然が、米国の農業をモノカルチャー(トウモロコシや小麦や大豆やポテトなど)に変えてしまった。そのつけを払うために、アメリカの農業はいま逆襲され始めている。

 

 明日は、(下)「海と種子」を読む予定になっている。そこで展開される話は、養殖と固定種の話になるのだろう。そんな予感がする。楽しみは続く。

 翻訳書の刊行から2年近くが経過しているが、本書の評者は、アマゾンでわずか一人。平易な文章ではあるが、本書の主旨を理解することは、日本人には意外に難しいのかもしれない。それは、有機農業や有機農産物がなかなか広がっていかない現在の状態とも関連しているように思う。

 慣行栽培がよいとか悪いとかいう以前に、農業と食品産業をつなぐ糸を、この国ではうまく結べていないからだろう。国土が広い米国だから、そして食文化が400年の歴史しかもっていない大陸ならでは視点が本書にはある。日本でも、在来種や自然農法に着目する奥田政行氏のようなシェフが登場している。

 料理の世界から、新しい視点でシェフたちが農業を見直してほしいものだ。NOAFに集っている若手の起業家たちや、こだわりの飲食店主、イノベーターの小売業者でもよい。日本人のシェフや料理研究家が、このようなフィールドワークを書籍の形に残してもらえないだろうか。