【新刊紹介】 松井剛(2019)『アメリカに日本のマンガを輸出する』有斐閣

 松井さんの本を、5月の学部生の読書感想文に指定してみた。昨日は、学生の感想文に短いコメントを書いて戻した。おもしろかったのは、マンガ好きがたくさんいる一方で、ほとんどマンガを読まない子も相当数いたという事実。そして、マンガが苦手な子の批評が興味深かったことである。実は、わたしもマンガは苦手である。

 

 マンガをほどんど読まないTさん(学部生、女子)は、自分は「小説派」だと述べていた。わたしも自分のブログで写真をまったく使用していない。その心は、画像なしに文字だけで、どれだけ自分の考えを伝えられるかにこだわっているからだ。「漫画派」の子たちは、その逆である。絵図で誇張された擬音語・擬態語の表現(オトマトぺ)で、登場人物の気分や舞台の雰囲気を伝えようとする。

 ところで、わたしが子供のころ、同級生たちは、「少年ジャンプ」や「少年マガジン」を必死になって買い求めていた。本書の分類では、「少年漫画」のジャンルに属するマンガである。しかし、わたしにとってのマンガとは、妹が買ってくる少女漫画の「マーガレット」や「少女フレンド」の世界である。

 不謹慎な発言になるが、いまでも洋服の趣味がやや女の子っぽいのは、そのときの名残りかもしれない。女装趣味はないが、女子が身に着ける制服や、ふりふりの着衣に興味をそそられるのは、あのころの後遺症だろう。子供のころに見た絵や風景は、シニアになっても心のどこかに生き続けている。

 

 いつものように、本題に入る前の前置きが長くなった。

 松井さんの本が、日本国内のマンガ出版社のひとたちにどのくらい読まれているか気になった。そこで出版後しばらくして、小学館の知り合いに尋ねてみた。残念ながら、マンガを米国に移植するのに大きな役割を果たした小学館(合弁会社が担当)の社内で、松井さんの本が読まれている気配はなかった。

 ということは、やはり想定していたように、「異文化ゲートキーパー」(日本から米国へのマンガの移転)の役割を果たしていたのは、米国人のマンガ好きだったことが証明されたことになる。マンガ文化を受け入れる側のキーマンが、米国にマンガを持ち込むときには、決定的に重要だったのである。

 

 本書のもうひとつのキーコンセプトは、文化製品の移転における「スティグマの管理」である。スティグマとは、「もともとは奴隷や犯罪者であることを示す刺青などの肉体的刻印のこと」である。社会学者ゴフマンが『スティグマの社会学』(1963年)の中で提示した概念である。スティグマを負った人々への劣等視が、社会的に正当化されている現象を最初に論じたのがゴフマンである(「コトバンク」の説明を編集)。

 スティグマ(負の刻印)を負った人は、一般社会からの差別という形で様々な不利を被ることになる。たとえば、マンガ愛好家の間での「オタク」と呼ばれるひとたちへの社会的な蔑視や、かつてLGBTのひとたちが被った一般社会からのネガティブな態度などである。スティグマの管理なしには、文化製品の移転は成功しない。スティグマは、当該国でのタブーの領域に触れるからだ。

 米国へマンガを移植するプロセスでは、米国社会が持っている様々な「スティグマ」(具体的には、暴力やエロ表現など)を改変・緩和することが必要だった。スティグマをうまく管理しないと、米国社会がマンガ(米国基準からみて、スティグマに満ち満ちている日本の文化製品)を受け入れてくれなかったからだった。

 その役割を担ったのが、マンガ好きの異文化コミュニケーターでもあるゲートキーパーたちだった。マンガの良き理解者であった米国人や新興出版社が、初期のころ、日本のマンガをアメコミ風に左開きに変えたり、オトマトぺ(自然界の音・声、物事の状態や動きなどを音で象徴的に表した語。音象徴語。擬音語・擬声語・擬態語など)が多用されるオリジナルのマンガを米国人が理解できるように翻案するなどをしてきた。

 

 学生たちの感想文は、いずれ本ブログで紹介することにする。その他のことで、わたしが気づいたことを記述しておくことにする。

 1 文化製品の国境を超えた移転について、本書の貢献はかなり大きいと考える。これまで、異文化ゲートキーパーの役割に触れた文献は存在しないように思う。実証分析もなかった。

 *例外は、林廣茂氏とわたしが「国境を超えたマーケティングの移転」である。そこで、移転を担う人(PEOPLE)の役割を強調したことはあるが、そこでの分析は「一般的な概念化」にとどまっている。

 2 文化製品の移転プロセスの中で、「探索・選択」~「テイストメイキング」までの4つのプロセスを概念提言したことが新しい。そして、米国とフランスへのマンガの移転で、この概念が定性的であるが、実証されている。

 3 今後、マンガのような日本の文化製品が、海外に事業展開することがあるだろう。そのときのベンチマークとなる研究が初めて現れたことは日本の学会としてうれしいことだと思う。おそらくは、松井さんには、これからは海外の学会や国内の行政府からお声がかかることになるだろう。