日本のノーベル賞の受賞者は30人です。出身大学を見ると、京都大学や東京大学など旧帝国大がそのほとんどを占めています。彼らは、若いころに米国の大学院や研究機関で研究活動を従事していたことが知られています。ところが、出身高校を調べてみると、地方の公立高校がほとんどです。唯一の例外が、都立日比谷高校出身の利根川進博士です。ただし、彼は愛知県の出身なので、東京都出身のノーベル賞の受賞者はいないことになります。それはなぜなのか?考えてみました。
「地方公立高校の現在地」『北羽新報』2025年12月22日号
文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)
2025年度のノーベル賞授賞式が12月11日に、スウェーデンのストックホルムで行われました。日本人の受賞者は2人で、化学賞の北川進特別教授(京都大学)と生理学・医学賞の坂口志文特任教授(大阪大学)でした。両氏はともに京都大学の出身です。これまで日本人のノーベル賞受賞者は、30人と1団体です。大学別では、京都大学(10人)や東京大学(9人)など有名国立大学(旧帝大)の出身者が多数を占めています。
ところで、受賞者を出身高校別に見ると、首都東京に立地する中等教育機関の優位が揺らいできます。受賞者のうち29人が、地方の公立高校出身者なのです。唯一の例外が利根川進氏(生理学・医学賞)で、出身は都立日比谷高校です。「ただし、利根川氏は愛知県の生まれです。小・中を富山県や愛媛県などの地方で過ごし、東京に引っ越して日比谷に進学しています」(東田高志氏、塾講師)。
驚くべきことに、厳密な意味では、東京都の出身者からノーベル賞の受賞者が1人も出ていないことになります。所得水準も教育熱も高い東京から、なぜ受賞者がひとりも排出できていないのか? 有名塾講師の東田氏が、メジャーリーガーの大谷翔平選手を例に挙げて説明しています。
「大谷翔平さんが東京で生まれていたら、今の活躍があったかどうか。彼の発言や行動を見ていると、頭がとてもいい人であることがわかるので、『この子は勉強できそうだから』と小学4年で中学受験塾に入れて、野球は趣味的に続けるだけになったかもですね」
都会に住んでいると、教育についての情報がたくさん入ってきます。親たちはそうした情報を元に子供たちの進路を縛ってしまうことになります。中高生のころを秋田で過ごしたわたしたち世代は、それとは真逆の環境で過ごしました。大学進学を考えるまでは、受験や職業選択についての情報にはほとんど触れることがありませんでした。
ノーベル賞の受賞者の多くは、幼少期を田舎で過ごしています。野山で植物や虫と遊んでいたはずです。通り一遍の価値観には染まりにくいのが、地方のいいところです。圧倒的な才能は、干渉を受けない状態で大きく伸びるように思います。受賞者たちはそうした環境の恩恵を受けて、日本にメダルをもたらしました。しかし、自由で屈託のない時代は終わりかけています。わたしは、この先の課題は2つだと思っています。
日本人の受賞者たちは、若いころ米国の大学院に留学したり、研究機関に勤務していました。例えば、利根川博士は大学院からマサチューセッツ工科大学で研究を続けています。その他の受賞者たちも、国際共同研究がきっかけで仲間と一緒にノーベル賞を受賞しています。しかし、米国がこの先も外国人研究者を優遇してくれるかどうか?未来は不透明です。
2番目の問題は、地方都市における教育の疲弊です。少子化で地方の公立高校が統合され、かつての勢いを失っているからです。加えて、地方で暮らしていても、教育や進学についての情報は簡単に入手できます。子供たちが戸外で遊ぶという生活環境にも変化が見られます。便利なスマホなどの情報機器が、好奇心を育む外遊びの障害になっています。
これまで日本人にノーベル賞をもたらしてきた条件が大きく変わろうとしています。科学分野で世界に貢献してきた日本の研究教育基盤に、静かな危機が到来しています。


コメント