東宝シネマ@錦糸町で『永遠の0』を観た。誰が見ても感動する映画である。上映開始1時間前で残席は2席のみ。8番スクリーンの最前列だけ。映画が始まると、隣りに座っていた若いカップルも、後部シートで6人が横に並んで座っている中年女性グループからも、何度も何度も啜り泣きの声が伝わってきた。
本作品は、百田尚樹の同名小説が原作である。ストーリーについては、ウイキペディアを参照していただきたい。小説は読んでいないが、映画とは作り方は少し違っているように感じた。2010年に漫画版が出て、2013年には原作が映画化された。現在、文庫本(300万部+)も映画(公開2日で36万入動員は新記録)もミリオンセラーとなっている。
原作の出版(大田出版)から7年、文庫化(講談社)されてから4年、さらには漫画版が出てから3年という絶妙なリードタイムが大ヒットの要因である。もちろん、注目度の高いキャスティング(岡田准一、井上真央など)による絶妙の演出で注目度が高くなるのは当然である。わたしも自然に、映画館に足を運ぶことになったわけである。
昨日の午後、映画を観終わってから5人に「推薦メール」を出した。即刻にレスポンスがあり、なんと二人が年末年始にすでに映画を見ていた。一人は「明日(本日)行きます!」とのことだった。60%の確率である。もしかすると、観客動員数が1000万人を超えることになるかもしれない。
というのは、元秘書の本村ちなみ(@岡崎市)などは、すでに2回も見ていたからである。これにはびっくりだった。おじいさんが靖国神社に祭られているからだろう。特攻隊員だったのだろうか? 昨夏にそのために上京して来ていたはずなのだが、その理由を聞きそびれてしまっていた。
この映画は、見る人の年齢や親族に戦争体験を持つ人がいるかどうかで、見方が少し違うような気がする。
わたしやちなみなどは、親族(実父、祖父)が戦争に駆り出されてひどい目にあっている。口伝えではあるが、戦争を擬似体験しているのだ。映画を見ている間中、わたしは約50年前の個人的な”擬似戦争体験”を思い出していた。
実父の小川久(故人:1982年没)は、戦時中は八丈島に通信兵として従軍していた。若い特攻隊員たちの出撃にあたって、「さようなら、さようなら、、」(このしぐさをするときの父の表情がいまでも目に浮かぶ)と地上から手を振っていた兵隊の一人である。通信兵として戦況の悪さを知る立場にあった父は、日本の全面降伏をかなり早くから予期していたという。硫黄島の玉砕や沖縄決戦の結末を、自らの手で大本営に打電していた。
その父は、毎晩のように、敵機グラマンに機銃掃射で追いかけ回された経験を4人の子供たちに話してくれた。恐怖体験ではあったのだろうが、わたしたちには、父の口まねがおもしろおかしく聞こえた。
「タ、タ、タ、タ、ターン。 タ、タ、タ、タ、ターン、、」。布団の隅っこに隠れているわたしに向けて、グラマンの機銃掃射音が迫ってくる。連射音とともに顔をめがけて飛んでくる銃弾の光の筋は、映画の中でもリアルに登場している。わたしにとって、それはスクリーン上の作り事ではない。遠い記憶の中にある体験済みの実写のひとコマである。
「永遠の0」のクライマックスシーンで、宮部曹長(主人公)は、自分のゼロ戦51型機と部下の大石が乗るはずの21型機を出撃の直前に交換する。その行為は意図的だったのだが、運命はその後どう転ぶかはわからなかったはずである。エンジントラブルを起こした51型機は喜界島に不時着する。生き延びた大石は、操縦席で一葉の写真と自分に託されたメモを発見する。
同じような偶然が、わたしの父にも起こっている。赤紙で召集された父は、訓練基地となっていた弘前の連隊(青森県)から八丈島に送られるか、そのまま硫黄島に行くかの選択があったらしい。なぜ父が八丈島に行くことになったのかは、いまとなってはわからない。しかし、明々白々なことだが、もし父が硫黄島行きの輸送船に乗っていれば、わたしはこの世に存在していない。玉砕の島で父の血脈は絶えていたはずだった。
宮部曹長のように自らが運命を選択したにせよ、わが父のように偶然がその後の生存を決めたにせよ、太平洋戦争では多くの日本人が大切な肉親や友人・知人を失っている。中国大陸で生死の境をさまよう経験をした伯父(珍田武蔵:故人)は、当時の体験をめったに人に話そうとはしなかった。グラマンの機銃掃射や駆逐艦からの艦砲射撃を浴びていたとはいえ、八丈島に駐屯していた父は、幸か不幸か肉弾戦を経験していない。伯父のほうは、満州大陸であまりに悲惨なことが多かったから口を閉ざしていたのだろう。
その伯父も酔った時にたった一度だけ、迫撃砲弾が飛んできて目の前で爆裂した話をしてくれたことがあった。隣りで寝ていた同僚の両手両足が木端微塵に砕け散って、衛生兵だった伯父はその処置を任された。そのあとはずいんぶんとむごいことになったのだろう。伯父から続きを聞くことはなかった。
いったん戦争をはじめてしまえば、一般市民は自らの運命を翻弄される。もはや多くの悲劇から逃れる術はない。太平洋戦争で悲惨な状況に日本を導いたのは、当時の国家を預かっている指導者たちだった。そして、「白旗を掲げて負けること」を恐れて闘い続けることで、さらに多くの悲劇を生み出した。神風特攻隊や回天(潜水艇)の愚策は、誰が着想したのだろうか?
本当はこの点に関して言いたいことがもっとある。しかし、戦争責任がどこにあったのかは、この際は脇に置いておくことにしよう。この映画には、もっと大切なメッセージが含まれているからだ。
この映画に期待するのは、観客動員数の記録更新や興行収入のレコード樹立ではない。かつて国家の愚策に運命を翻弄された「市民の記憶」を記録しておくことだ。戦争を身体で経験したわが父親の世代や、口伝を通してどうにか疑似的な体験をしているわたしたち世代だけではなく、(本村)ちなみのように、若い世代には繰り返し繰り返して本作品を見てほしいのだ。
なにも、国粋主義者や民族主義者になれと言っているわけではない。日本のことを好きになってほしいのだ。そして、日本のいまと未来に対して、若い人たちにいま以上に責任を担う気概をもってほしいと思うのだ。この場合の「日本」とは、政治体制としてのニッポンではなく、あなたたちの家族や友人や仲間が生活しているコミュニティのことである。
映画のタイトルは「永遠の0」である。”永遠”の意味は、「長く続く民族の血脈とその記憶」のことを指している。月並みな表現だが、民族への愛情と日本国民としての深い絆のことである。それは、自分が生かされている社会への感謝と畏怖の心を指している。
恥を忍んでいえば、前後左右のシートに座っていた鑑賞者たちに負けないくらい、わたしは何度も何度も目頭を熱くしてしまった。とくにわたしが溢れる涙を止めることができなかったシーンは、戦地から戻ってきた宮部小隊長が、教官となって特攻隊員を志願している生徒たちを指導する場面だった。
他の教官とはちがって、宮部教官は生徒たちに「可(合格)」を与えようとしない。来る日も来る日も、生徒たちの飛行技術に「不可(不合格)」の成績を出し続ける。明らかに、生徒たちのひとりたりとも死地に向かわせたくないからだ。客観的に戦局の厳しさを知る宮部は、この国の未来を担うはずの若者たちに、ここで無駄な死に方をさせたくなかったからだった。
ところが、最後の最後で宮部自身が特攻隊に志願する。その日、エンジンが不調の自分のゼロ戦と機体を交換することで、大石と自分の命を入れ替える決意をする。生徒の大多数を救うことができなかった無念な気持ちを引きずりながら、土壇場で、日本の未来を担うひとりの若者に、自らの命と引き換えに生き延びる機会を与える行為だった。
<追記>:これは、蛇足かもしれないが。
作品中でしばしば、宗教的な自爆テロと戦時中の特攻行為の差が話題になっている。民族(イスラムと日本)の危機を救うための究極の行為として、自爆テロも神風特攻隊も基本的には違いがないように見える。しかし、戦前の日本が宗教国家だったかといえば、そうではなかったはずだ。特攻や玉砕の行為は誰かが指示を出し、周囲の誰もそれを押しとどめることができなかった愚行である。
”神風”が吹く奇跡をどれくらいの国民が信じていたかはわからないが、高倉健が演じるやくざの出入りや、大石内蔵助が主役の忠臣蔵の仇討とは、そもそも戦いのスケールが違っている。自爆テロ行為もしかりである。どちらも(国家的ではない)”大義”という個人的な理由で、”具体的な”敵と差しちがえているのである。一方は無差別で、片方は特定的のちがいはあるのだが。
それに比して、神風特攻隊は、国家的な作戦に組み込まれた人的な犠牲である。そもそも、当時の若者に課された精神的な負荷や作戦上の成り立ちがちがっている。忘れてはならない歴史的な教訓である。だから、日本人として記憶にとどめておくべきことなのだと思う。東日本大震災での津波に対する悲劇も、民族的な歴史的忘却に依っている。
<あらすじ>(「ウイキペディア」から引用: ネタバレに注意!)
大学生の佐伯健太郎と、出版社に勤める姉の慶子は、亡くなった祖母・松乃の四十九日から暫くした頃、祖父・賢一郎から実の祖父の存在を知らされる。 「お前たちの母・清子を連れて松乃は太平洋戦争後に私と再婚した。お前たちの実の祖父は、松乃の最初の夫で終戦間際に特攻で戦死した海軍航空兵だ」――。
それから6年後、司法浪人が長く続き人生の目標を見失っていた健太郎は、フリーライターとなった慶子から、新聞社で主宰される終戦60周年記念プロジェクトの協力を頼まれる。プロジェクトを進める高山は、神風特攻隊のことをテロリストだと語るが、祖父の話もありその考えに釈然としない慶子は、このプロジェクトに際して特攻隊員だった実の祖父・宮部久蔵のことを調べようとする。姉弟はわずかな情報を元にその足取りを追い始めた。
戦闘機搭乗員としてラバウル航空隊で一緒だったという男は、久蔵について「海軍航空隊一の臆病者」「何よりも命を惜しむ男だった」と姉弟に蔑みの言葉をぶつけた。健太郎は元戦友から初めて聞く祖父の話に困惑し、調査を続ける気を無くしていたが、母から健太郎と同じ26歳で亡くなった父・久蔵がどんな青年だったのか知りたいと改めて頼まれ、更に手がかりとなる海軍従軍者たちを訪ね歩く。だが、生前の久蔵を知る者達の語ることはそれぞれに全く違っており、調べるほどにその人物像は謎に包まれていた。戸惑いつつも二人は、国のために命を捧げるのが当然だったと言われる戦時下の日本と、そこに生きた人々の真実を知っていく。
凄腕のゼロ戦乗りで、卑怯者と誹られても、「娘に会うまでは死なない」と松乃との約束を守り続けていた久蔵は、なぜ特攻に志願したのか? 終戦60年目の夏に、長きにわたって封印されていたその壮絶な生涯と驚愕の事実が明らかになる。