【書評】藤原辰史(2018)『給食の歴史』岩波新書(★★★★★)

 お盆明けの土・日で、藤原辰史著『給食の歴史』(岩波新書)を読んだ。第二次世界大戦後、日本人とくに小学生の味覚に影響を与えた学校給食のはじまり(+戦前の給食前史)と歴史的・運動史的な意味を、文献とインタビューで構成した良書である。この本の存在は、JFMA事務局の拝野さんから教えてもらった。

 

 藤原さんの本を読むことになったそもそものきっかけは、8月2日のブログ記事「学校給食の痕跡、クジラのノルウェー風の記憶から」(https://kosuke-ogawa.com/?eid=6138#sequel)に書いてある。詳しくは、そちらをお読みいただきたい。

 子供のころ、学校給食でよく出た「クジラの竜田揚げ」のことが、JFMAのトップインタビュー(育種家の坂嵜潮さん)の中で話題になった。わたしはクジラの竜田揚げが好きだった。その習慣の痕跡が、わたしの舌には残っていたようだった。いまでも唐揚げのチキンを食べるときには、ハインツのケチャップを多用している。

 インタビュー後すぐに、アマゾンから藤原さんの本を取り寄せた。二人の孫たちが神戸に戻ったので、早速、昨日から読み始めた。おもしろくて、すぐに読み終えた。

 

 本書を読み始める前に、学校給食制度に対するわたしの知識は、標準的で個人的なものだった。子供のころの給食体験と、もうひとつは、鈴木宣弘(2013)『食の戦争:米国の罠に落ちる日本』文春新書である(本ブログの書評で紹介されている)。

 鈴木氏の主張は、農産物の自給率向上を国策として促進することと、自由貿易論の礼賛に対する批判の書である。その中で興味深かったのは、1952年~53年にかけて、米国では小麦やコーンが大豊作になり、余剰農産物を処理するため(価格の暴落を防ぐため)、日本の学校給食をアウトレット(はけ口)として活用したという説である(本書では、「米国の小麦戦略」と呼ばれている)。

 本書でも紹介されているが、戦後の日本社会の統治において、米国は共産主義への防波堤として学校給食を利用した。飢えによる暴動を起こさせないためである。その過程で、米国の小麦生産者組合(とりわけオレゴン州)が、ある種のロビー活動を通じて日本を小麦輸出国のターゲットとしたとする仮説である。

 わたしも、「米国の小麦戦略」が日本の学校給食制度を作ったという説を信じていた。

 

 本書の素晴らしいところは、残された資料と史実を丁寧に調べて、通説に”ソフトに”異議を唱えているところである。わたしが信じていた「学校給食史」(米国の小麦戦略)は、完全に誤っているわけではないが、半分の真実しかとらえていなかった。

 米国の小麦戦略(仮説)とは、「キッチンカー、オレゴン小麦生産者連盟の攻勢などのいくつかのプロジェクトによって、日本はこれまでのコメ中心の食生活から肉や小麦を摂取するパターンに変わった、というものである」(本書、P.162)。しかし、小麦戦略の意図を結果的に見ると、米国の意図とは異なり、以下の3つの事実から仮説は否定される。

 1.『食糧自給表』のデータが示しているのは、米国小麦戦略の時期(1950年代前半~1960年代前半)に、コメの生産が増えていて、小麦の輸入は微減していること。

 2. 農産品の輸出戦略の対象には、小麦だけでなく脱脂粉乳なども含まれていた。つまり、そこには日本側(政府)の思惑も入っていたから、米国側が一方的に日本に小麦を押し付けたという結果にはなっていないこと。

 3.給食の特性から考えると、給食で子供の味覚が変わるまでには10年以上は必要だったこと。これには、検証が必要だと思われる。*個人的な見解だが、日本人の舌(食の遺伝子)は、米国政府が意図したように10年やそこらでは変わりようがなかったのではないか?

 

 本書を読んで受けた衝撃を、以下では順に紹介したい。

 ①正直に言うと、わたしは、学校給食が好きでも嫌いでもなかった。どちらかといえば、いまだにコメ派なので、パン食は苦手である。できれば、脱脂粉乳は勘弁してほしかった。しかし、学校給食の良さは、その「平等性」にある。そのことは、子供のころから肌で感じていた。給食費が払えない子が、周囲にはたくさんいたからだった。いまでも「子ども食堂」の記事を読むと、あのころの教室の暗い緊迫感(給食費が払えない子たち)と給食当番の白い頭巾を思い出す。

 ②評者は、どちらかといえば、新自由主義的な空気(民営化、自由競争推進)の中で学者生活を過ごしていた。それでもなお、本書を読了したあとでは、給食制度(一時期は廃止に舵を切ろうとしていた)を巡る「中曽根~小泉政権時代」の施策に疑義を呈する筆者のスタンスには共感を感じることができる。運動体としての学校給食が、心ある教員や父母たちによって支えられていた史実を知することができたことは、本書を読んだことからの大きな学びでもあった。

 ③食材供給のやり方として、「センター方式」と「自校式」が知られている。わたしどもの子供が小さいときに、センター方式を自校式に変更する運動が盛んだった。しかし、いまさらながらだが、その背景で知らなかったのことが多くあった。それは、センター方式のマイナス面についてだった。単に食中毒やスープやご飯の鮮度の問題以外に、センター方式が食材調達やコスト面でも優れているわけではなかったことだ。

  

 藤原氏の主張は、実に的を得ている。

 昨年(2022年)、『青いりんごの物語:ロック・フィールドのサラダ革命』(PHP研究所)という本を刊行した、最終章で、米国カリフォルニア州で食育を提唱したアリス・ウォータース(オーガニックレストラン経営者)の活動を紹介した。彼女は、「エディブル・スクールヤード」(グローバルには「食育」に該当)の提唱者でもある。

 著者の藤原氏が暗黙に提唱している理想の学校給食は、アリスの言葉で包摂できるのではないかと考えた。みんなで育てた食材を、みんなで調理して一緒に食べる。これこそが、学校給食の基本理念ではないだろうか。

 最後に、アリスの「9つの料理原則」を紹介して、書評を終えることにしたい。

 

 アリスの『9つの料理原則』
1.地元で継続可能的につくられた食材を食べましょう
2.旬のものを食べましょう
3.ファーマーズマーケットで買い物をしましょう
4.庭に食べられるものを植えましょう
5.ものを大切にし、たい肥をつくり、リサイクルに努めましょう
6.シンプルに料理しましょう
7.みんなで一緒に料理しましょう
8.みんなで一緒に食べましょう
9.食べ物は尊いということを忘れずに