【文献紹介】今泉晶(2016)『農業遺伝資源の管理体制』昭和堂

 植物遺伝資源(種子)に関するアカデミックな研究書である。植物(種子)の多様性を維持するために、農業者が種子を自由に利用できる権利をどのように守ることができるのか。採種=所有権と種子の調達権について、フィールドワークをもとに考察がなされている。

 

 20世紀の半ばに種苗法や特許法(知的財産法)が成立したことで、植物遺伝資源の保護システムが普及した。大規模な企業に有利な種子取引市場が社会的に整備されるようになった。しかし、それだけでは、長期的には農業遺伝資源の保持に失敗し、自然がもっていた種子の多様性が失われる危険性がある。
 心ある農学者は、農業者が実践している自家採種と民間の種子交換システムに期待している。そもそも育種(イノベーション)の元ネタは、自然界にあったものである。育種家は、数億年かけて進化してきた植物の遺伝子の変異を、マーケット(経済性と効率性)の観点から再編集しただけのことである。上手・下手のちがいはあるが、農業者(今泉氏の表現を借りると)は、独自に生産しながら自家採種も試みてきた。
 ただし、農業者のこの行為は、大規模種苗会社の台頭で経済的に成り立たなくなっている。大きな種苗会社からタネを購入しながら、同時に自家採種をする農業者は、世界中に散らばっている。しかし、究極的には 採種行為と農業生産は分業するのが、社会的な最適デザインなのだろうか?
 近代的な農業において、種子販売と農業生産とは分業するようになった。分業したほうが効率が良いからだ。しかし、種子と生産の分業だけで、種子の再生産がおこなわれているわけではない。現実はちがっている。そのように指摘しているのが、今泉氏のドクター論文である。本書は、それを一冊の本にまとめた労作である。
 今泉氏は、オランダ(第2章)と日本(第3章)の種子選択の現状を整理しながら、現実的には、大規模種子会社によるF1/GMO種子の供給システム(フォーマルシステム)と、小規模種苗会社や民間の種子供給システム(自家採種や種苗交換会=農業者システム)が併存している実態を調査で明らかにしている。在来種の保護・頒布(第5章)も、後者の農業者システムの一般化から説明できるとされる。
 この分析は非常に優れているのだが、今泉氏の本の弱点は、フードシステムの分析視点が完全に抜け落ちていることである。アグリシステムにしか注目していない。本人もそれをわかっているのだが、どのような市場条件ならば、併存システム(フォーマルシステムと農業者システム)が成立するのかが考察の対象外にある。
 この問いかけ(在来種や自家採種が経済的に成立する条件)について、評者がひとつのヒントを与えてみたい。
 その答えは、
(1)農業生産部門が採用する農法、
(2)加工部門の位置づけ、
(3)小売り部門の販売方法
の3つから説明できる。
(A)在来種は、有機農法にフィットしている(逆に、慣行農法にはF1が向いている) 
(B)大規模加工メーカーは、マスマーケットを前提に種子を選ぶ、
   これは、高回転で安定供給できる農産物(種子)が前提になる。
(C)小売業もローカルスーパーや直売所がMD(商品政策)に在来種がフィットする
   逆に、全国一律のナショナルチェーンの品ぞろえに、在来種は対抗できない。
 以上、マーケティング研究者の観点から、今泉氏の自家採種論(農業者システム)に簡単だが補足をしてみた。