オランダ自由大学の著名な環境科学者、ハリー・エイキング博士のオフィスを訪問したのが今年の5月21日。メールを通じて訪問前に博士から紹介していただいた著作(2006)を読む時間がなく、3か月半が経過していた。夏休みを利用して、3日前から集中して読み始めて昨日読了。予想通り、とても示唆に富む内容の本だった。
13年前(2006年)に刊行された本書を、なぜいまさら紹介するのか?
ブログの読者は、不思議に思われるかもしれない。しかし、本書の紹介文を書くことは、わたしにとっては必然性があることだ。関連して、エイキング博士へのインタビュー記録(約2時間分)を編集し、この秋・冬には資料として公開するつもりでいるからだ。どの媒体(論文あるいは紹介記事)になるかは未定だが、その前提として、博士が中心となって組織した””PROFEATS:PROtein Foods, Environment, Technology and Society”のプロジェクト報告書を読んでおく必要があると感じていた。
本書の刊行からはすでに相当長い時間が経過している。ところが、本日(9月7日)の『日本経済新聞 朝刊』に「植物由来の肉」(プラントベースド・ミート)のことが記事として掲載されている。昨年あたりから、植物由来の肉が脚光を浴びるようになったのは、植物肉(パテ)の開発製造販売で、米国新規公開企業として時価総額1兆円超を記録した「インポッシブル・バーガー」や「ビヨンド・ミート」の影響だと思われる。
もっとも、植物由来のタンパク質を「肉代替品」(meat-substitute)と呼んだり、豆乳やココナッツ由来のミルクを、「大豆ミルク」(soy-milk)のように「乳製品」の名前で呼んでよいのだろうか? 議論の余地はあるだろう。実際に、全米精肉協会や全米酪農協会が、milkやmeatの呼称をめぐって裁判を起こしている。それだけ、植物由来の肉やミルクは、いまやホットなイシューになっているのである。
そのことはさておき、実は13年前に刊行された本書こそが、動物性タンパク質(肉)から植物由来のタンパク質への代替に対する理論的な根拠を与えた研究書だったのである。タンパク源の肉から植物への転換における課題を、環境・技術・社会の3つの切り口から、きわめてロジカルに論じているのが特徴である。
本書は、2000年にはじまり2006年に完了したオランダ政府の資金援助による「PROFEATS」の報告書である。プロジェクトの目的は、世界の食品供給システムを、従来の肉(meat)をベースにしたタンパク質の供給体制から、植物(plant)由来(具体的にはエンドウ豆:pea)のタンパク質の生産と供給に変えていくための提言書である。
この提言の中で、エイキング博士らは、持続可能なタンパク資源の生産と消費の仕組みを提言している。そのことを、比喩的に「Pigs(豚肉)をやめて、Peas(エンドウ豆)へ代替する」とおもしろおかしく副題で表現している。この大転換(transition)を、歴史的・文化的・科学的・栄養学的・生物学的・経済学的な視点から多面的に考察している。
プロジェクトには、フリー大学やワーヒニンゲン大学など、オランダの大学から総勢50人の研究者(大学院生、ポスドク生を含む)が参加している。プロジェクトの組織は、主として農学や生物学、食品分野の研究者を集めたものではあるが、そうした自然科学分野だけでなく、社会科学分野など多方面の研究者を集めて学際的な成果を生み出している。
アムステムダムでの博士とのインタビューで印象的だったのは、「専門分野が異なる研究者を同じテーマで議論させることが、とても大変だった」との嘆きにもとれる述懐だった。それとは対照的に、「たいへんなプロジェクトでしたが、その成果でもあるこの本は、いまでも売れ続けていますよ」と誇らしげでもあった。
ドイツの出版社(Springer)からは、新版を出さないかとの申し出もあったようだが、「もう二度と大変な思いはしたくない。それより論文のほうが、皆さんに読んでもらえる機会が増える」というのが博士の返答だった。本書はのちに社会的に大きな影響を与ることになるわけだが、前代未聞の学際的なプロジェクトは、それだけに大きな困難を伴っていたのだろうと推察する。
本書のダイジェストは、第1章「研究の背景、目的、範囲」(Background, Aims and Scope)で簡潔に述べられている。最終章「転換の実現可能性と利害関係者への意味づけ」(Transition Feasibility and Implications for Stakeholders)でも、PROFEATSが残してくれた研究成果が要約されている。
本書の結論をごく簡単にいえば、エイキング博士らの研究チームの主張は、人間の成長に必要なタンパク質を確保するため、動物由来のプロテインの生産と消費をやめて、植物由来のたんぱく質に代替すること。そして、農業生産とタンパク質の消費データから、現実と仮説の正当性を論理的に説明していることである。植物性のタンパク質に代替するための転換には、効率的にプロテインを生み出す具体的な食品(NPF:Novel Protein Foods)が必要になる。
とりあえずの選択は、仮想のNPFという「新プロテイン食品」である。NPFの元になる植物としては、エンドウ豆(Pea)が選ばれる。もちろん、タンパク源を提供する植物としては、とくにアジア地区においては、大豆(Soy)が有力な候補として挙げられてはいる。ただし、欧州の気候条件のもとでは、エンドウ豆(Peas)がもっとも効率的だと判断されている。この辺の代替作物に関する議論は、第6章(Emerging Option)でも検討されている。
全体は、7章から構成されている。第2章から第4章までは、動物由来のタンパク(具体的には、豚肉)に対置して、植物由来のNPF(具体的には、エンドウ豆)を生産することの優位性と課題(技術的な方法論)がデータで示されている。
第2章「環境の持続可能性」(Environmental Sustainability)では、豚肉とNPFの生産と供給が環境に与える負荷を比較検討している。大きくは3つのカテゴリーで、環境への影響が評価されている。①生態学的な側面(グローバルとローカルの環境変化)、②社会的な側面(健康、人権、労働、動物愛護)、③経済的な側面(フェアトレードなど)。
この章で興味深いのは、NPF(植物由来)が、豚肉(動物由来)に対してタンパク質の生産効率が極めて高いというデータが示されていることである。具体的には、1000KGのタンパク質(豚肉とエンドウ豆から抽出)を産出するために必要とされる土地面積には約10倍(1.3ha:12.4ha)、必要な水量は約60倍(177㎥:11,345㎥)の格差がある。投入される肥料(窒素NとPリン酸)の投入効率は、せいぜい2倍から3倍で差異はそれほど大きくはない。
また、NPFと豚肉に関して、農業生産が生み出す環境負荷を「排出物の指標」で比較している。取り上げた7つの指標の中で環境負荷の格差が大きいのは、①海洋と土壌の酸性化(Accification)の61倍、②地球温暖化(Global warming:Co2の排出量)の6.4倍、③冨栄養化(Eutrophication)の6.0倍である。農薬や肥料、水や土地利用でも、格差は1.6倍から3.4倍に広がっている。
こうした環境負荷格差を生み出す最大の要因は、豚肉の生産のために穀物(大豆とでんぷん)が飼料として投入されているからである。つまり、豚肉の生産では、タンパク質(豚肉)への変換効率がよくないためである。ちなみに、この本の事例では、豚肉をとりあげているが、牛肉はもっとタンパク質への変換効率が悪いことが知られている。
この章の大切な結論のひとつは、植物由来のタンパク質への転換で、オランダや欧州において現状、農業に利用されている土地や資源(水や肥料など)を5倍から6倍程度の解放できることである。その分を、放牧に利用したり自然に戻したりできるという示唆は、環境負荷の低減という意味で説得的である。
第3章「技術的な実現可能性」(Technological Feasibility)では、NFP(エンドウ豆)を最終的に「材料」(Ingredients)として製造するための技術的な課題と可能性について検討されている。わたし自身は、マーケティングが専門の学者である。生産管理の知識をほとんどもち合わせていないので、内容を完全に理解できているかどうか疑わしい。それでも、理解できる範囲内で内容を紹介してみる。
この場合の技術的な実現性とは、エンドウ豆からタンパク質の成分を抽出して製造するプロセスを、さらに最終消費段階までもっていくチェーンを実際に成立させることである。そのためには、①エンドウ豆の育種→②豆の栽培→③NPFのテクスチャ―(舌ざわり)→④風味→⑤消費者の好み→⑥消費者行動の流れを、丹念に追って検討しなければならない。なお、エンドウ豆の栽培の途中では、タンパク質の副産物として、でんぷんが大量に産出される。
過剰な副産物になるので、その利用の仕方を考えなければならなくなる。おもしろいのは、NPFとして大豆を作物として用いる場合でも、サラダ油が副産物として生み出されることである。この処理が、植物由来のタンパク質を利用するときの課題である。
第4章「社会的な望ましさ:消費者の視点から」(Social Desirability:Consumer Aspects)と第5章「社会的な望ましさ:国民経済と国際経済の観点から」(Social Desirability:National and International Context)では、NPFの社会的な受容性について考察されている。
このふたつの章で一貫している「考え方」(前提となる真理)がある。つまり人類の食べ物に対する受容の歴史を振り返ってみると、長期的に見て(100年~1000年単位で)、われわれは新しい食品を積極的に受け入れてきたという証拠がある。われわれは栄養の改善で長生きになった。ところがその反面で、ごく短期的には(5年~10年)、人間は食に関してかなり保守的(Conservative)であるという事実がある。おそらくは、現状を生きている危険に対して、食環境を変えたくないという構えがわたしたちに内在化されているからである。
ヴィーガン食(完全菜食主義者)やオーガニック食品が、当初はなかなか普及しなかったことがその証拠である。実は現代版のNPFである「植物由来のタンパク質」を使ったハンバーガーが普及するまでには、かなりの時間を要している。そう考えると、植物由来のハンバーガー用パテ(ソイミート)の売り方は、「肉」のように植物性タンパク質の材料をうまく宣伝して見せることであるという結論を導き出す。味覚に対する評価も、「まるで牛肉みたいだ!」あるいは「本物の肉を超えている!」が成功の評価軸になる。
本書の立場も、消費者行動に関して同様な視点からNPFの普及を議論している。NPFは、あくまでも新しい素材(食材)なので、従来の肉を食べるときの満足感を生み出す属性が満たされないと、消費者からは受け入れられない。そのために実験を繰り返している。NPFのような食材の受容性を高める要因とは、①満腹感、②感覚的な満足(舌ざわり、風味)、③続けて食べても飽きがこない性質を持っていることである。
なかなか厳しい評価軸ではあるが、植物由来のハンバーガーはその領域を超えたらしい。本書が刊行されたときと比べて、「植物由来の肉」に対する技術的なハードルは、ずいぶんと低くなっているように思う。不二製油の清水社長にインタビューしたときも、「ここまで来るのに10年以上かかかった」と、最初にベジタリアン協会を支援したときのことをなつかしく話されていた。
食に関する保守性を打破する試みは、いつもなかなかタフでやっかいな失敗で終わることになる。
エイキング博士がリードしたPROFEATS(オランダのプロジェクト)は、NPFによる動物性タンパク質の代替可能性を明らかにした。また、NPFを普及させることの社会的な意義を発信することに成功している。NPF研究はオランダや英国がリードしたものだが、いまや製品カテゴリーとしてのNPFは、アメリカ発のベンチャー企業が先導しているようにみえる。
それにしても、本書を読んで感心するのは、オランダ人の先見性と忍耐強さである。日本の大手企業も、植物由来のタンパク資源の開発とマーケティングに力を入れている。技術的には、製造特許を多数保有している不二製油(大阪府)や同社と提携関係にある豆腐メーカーの相模屋食料(前橋市)、大塚グループや三井物産などが、日本企業としては植物肉の分野でフロントランナーの仲間入りをしている。
わたし自身は、エイキング博士の研究を知る20年ほど前から、『植物の時代(仮)』という本を構想していた。『マクドナルド 失敗の本質』(東洋経済新報社)はそのための著作だった。念頭にあったのは、肉の非生産性と環境負荷、健康への危険性であった。ちょうど日本で初めてのBSEが、わたしたちが住んでいた千葉県白井市の牛舎から発見されたときのことである。
本書を読むと、ヴィーガンやベジタリアンでなくとも、植物性のタンパク質を採用することの必然性が即座に理解できる。人類の未来は、明らかに植物性に向かっている。それは、まちがいないだろう。ただし、コスト面、技術面、消費者の受容性の面で、まだまだ道のりは険しいように思う。