本書の出版社元「CCCメディアハウス」の親会社は「蔦屋書店」である。CCC(カルチャー・コンビニエンス・クラブ)の創業者である増田宗昭氏は、自社の書店を「蔦屋」と命名した。店名の由来は、江戸時代(享保、天明、寛永)に出版文化を築いた人物、蔦屋重三郎の名前からだったのだろう。略称で「蔦重」と呼ばれる蔦屋重三郎は、吉原(現在の台東区千束)で生まれている。
江戸時代に出版文化の基礎を築いた蔦重の名前を、わたしは迂闊にも知らなかった。3日前に、雑誌『PEN』の広告欄に掲載されていた広告を見て注文した。とくに期待して読んだわけではないが、江戸の出版事情がこの一冊でほぼカバーできた。
明治から大正・昭和にかけて、出版業界に影響を与えた作家や画家の名前は知っていたが、江戸時代となると、浮世絵師の名前くらいしか知識がなかった。江戸東京博物館の浮世絵展覧会で、江戸時代の絵師たちの作品に触れることはあった。ところが、彼らを支えていた「出版エコシステム」や蔦屋重三郎のようなプロデューサーの存在については考えたこともなかった。
本書は、浮世絵師の喜多川歌麿や東洲斎写楽、戯作者の山東京伝や太田南畝たちを見出すことで、江戸の出版文化を支えた蔦屋重三郎の生涯を概説したモノグラフである。浮世絵師や戯作者との交流を起点に、出版ビジネスを構築していく蔦重の仕事を簡潔にまとめてある。
享年48歳の短い生涯ながら、蔦屋重三郎は3度の事業転換を経験している。
江戸吉原に生まれた蔦重は、吉原の玄関口(いまの吉原大門)で出版書店を開業する。「吉原細見る」という吉原ガイドブックを刊行する。年2回発行する定期刊行物であるが、ほぼ独占的な地位を築く。堅実なビジネスだったが、蔦重はそこで満足することはなかった(第1部)。
蔦屋重三郎のその後のライフヒストリーは、「蔦屋重三郎の生涯を辿る」(35頁~56頁)に詳しい(第2部)。
最初の転身は、当時の江戸を席巻した狂歌ブームに乗り、挿絵付きの絵本(狂歌絵本)を出版したこと。「連」と呼ばれる文化人(狂歌作家)のサロンに参画して、戯作者たちとのネットワークを築く。プロデューサーとして頭角を現し蔦重は、黄表紙と呼ばれるようになる草双紙を手掛ける。
二度目の転身は、華美を排する緊縮財政の「享保の改革」(松平定信)のときである。出版統制がきびしくなり、一方で幕政を風刺する出版で財産を半分没収される処分を受ける。それをきっかけに、山東京伝などの戯作出版から、喜多川歌麿などを発掘して浮世絵の普及に事業の重点を移す。
最後の転身は、専門書・学術書を出版することだった。曲亭馬琴(「南総里見八犬伝」の作者)や十返舎一九(「東海道中膝栗毛」の作者)を、読本の人気作家として起用する。
「蔦屋重三郎が見出した天才たち」(第3部)は、蔦重が発掘した当代の戯作者や浮世絵師たちを、年代順に紹介したパートである。文化サロンの中心に居る蔦重と戯作者たちとの関係は、「人物相関図」で示されている。例えはとしてはあまり宜しくないが、ジャニーズ事務所の創設者、ジャニー喜多川と事務所からデビューしていく若いアイドルたちとの関係を彷彿とさせる。
時代を追って、相関図の中心が移動していく。狂歌連の時代は恋川春町らが、黄表紙に時代は山東京伝らが深い関係性のネットワークを形成している。そして、浮世絵ブームを作った後に、喜多川歌麿や東洲斎写楽がサークルの中心にいる。最後は、曲亭馬琴や十返舎一九の時代で終わる。
この本のおもしろいところは、短い解説で、江戸中期の出版事情がほぼわかるところだろう。中学校・高等学校の教本として利用価値が高い。
不満があるとすれば、江戸の出版文化を知るための副読本としては、狂歌や浮世絵の鑑賞の仕方や楽しみ方が、本書ではよくわからないことだろう。吉原・千束のエリアが売春地帯だったこともあり、花魁や遊女たちの生活や岡場所の成り立ちについては、遊女たちの一日の生活グラフなどがあるにとどまっている。
それでも、法政大学の元総長、田中裕子名誉教授の江戸文化の解説インタビューなどもあり、そこそこの江戸出版文化の解説書にもなっている。
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