大山さんと『メーカーベンダーのマーケティング戦略』を出版したことがある。22年前に出した共著は、アイリスオーヤマが海外進出する際、企業紹介用に英語に翻訳されている。米国、オランダ、中国(大連)に進出したころだった。大山さんはその後、ダイヤモンド社と日経BPから3冊の本を出版している。なので、本書が単独では4冊目の著作になる。
大山さんと著書を出すことになったのは、『RIRI(流通産業)』という雑誌に花業界のレポートを連載していたからだった。法政大学キャリアデザイン学部教授の外川洋子さんが、流通産業研究所の研究員だったころのことである。仙台にユニークな園芸用品メーカーがあることを「RIRI」のレポートで知ったわたしは、「経営者をインタビューしてみたい」と外川さんか小山さん(当時はRIRIの所長)にお願いした。
雑誌の連載で、アイリスオーヤマの園芸ビジネスを紹介した。さらに、1992年の後半ごろ、夜間の社会人大学院をはじめたとき、「マーケティング・ワークショップ」という授業で4回連続で大山さんに特別講義をお願いした。そのテープを細野真紀子さんが原稿に起こしてくれて、半年をかけてそのまま書籍化してしまった。
大山社長には、その後、経営大学院の客員教授に就任していただいた。また、JFMAの発足時には、こけら落としの大会で、基調講演をお願いしている。つい最近も、『JFMAニュース』に掲載するため、園芸業界のトップインタビューをお願いした。当時の園芸業界のことなどを話していただいた。
大山さんが日本経済新聞で「私の履歴書」を連載していたことは知っていた。しかし、連載中は細かく記事を読むことはなかった。2005年ころまでのアイリスオーヤマと大山健太郎社長のことは、他人よりはよく知っているつもりだったからだ。ところが、先週研究室に送られてきた著書をまとめて読んでみると、創業時(1970年~)から共著を出版した1994年までのことで、けっこう知らないことがたくさん書いてあった。
父親を若くしてなくした大山さんは、高校卒業と同時に「大山ブロー工業」の事業を継承する。長男なので、たくさんの兄弟を抱えて非常に苦労をしてきた。きまじめで責任感が強い性格の大山さんは、頭が抜群に切れることは誰しも認めるところだ。苦労しながらも事業を大きくできたのは、彼の天才的な商才ゆえだろう。
「メーカーベンダー」の概念は、大山さんの発明品である。イノベーションというよりは、インベンションだろう。天才的な発明。ビジネスモデルの基底にあるのは、共著でも書いたが、消費者起点の商品開発力とロジスティックスのパワーである。商品分野が、園芸用品、ペット用品、収納用品から、家具什器、家電製品(LED)、コメの精米へと変化していっているが、同社の強みは変わっていない。
第一部の「私の履歴書」は、日本経済新聞に連載した内容になっている。東日本大震災の対応から始まる真迫のドキュメンタリーは、出色の読み物に仕上がっている。一冊の著書として読むときは、この部分をもう少し膨らませたほうがよかったような気がする。二部と三部は、すこし文体が違っているので、別冊か別本にしたほうがよかったかもしれない。
とはいえ、第二部「私の経営理念」では、大山さんの経営思想を知ることができる。これまでは整理して考えたことがなかったので、大山さんの発想を知る上では貴重な内容になってはいる。
第3部は、折々に朝礼で話してきた「社員へのメッセージ」である。ここでは、大山さんの本音が垣間見られる。社員には、もっとしっかり勉強してほしいと。
大山さんの経営理念で、わたしが著しく共感できたのは、真ん中あたりに出てくる3つのページに書いてあることだ。
1 理想の会社(P.129~130)
大山さんが考える理想の会社とは、「株式非公開の同族経営」。ガバナンス強化のために、社外取締役を入れても、実態を見れば疑問を禁じえない。会式公開は弊害が大きい。その通りだと思う。
2 利益はその地域に還元する(P.137~138)
グローバルな企業になっても、ローカルな人材を雇用しているのだから、得られた利益はその土地や国に還元する。海外で得られた利益は、その国に再投資するか、その国の労働者に割り戻す。工場を作った地域や進出先国の資源(人材や環境)を収奪しない。大賛成です。
3 会社は誰のものか?(P.146~148)
米国型の株主資本主義を否定する。日本には、「日本型の経営」が適している。たしかに制度的には、会社は資本家のものだが、大山さんの会社は、働く社員で組織が構成されている。だから、チームで働く社員(共同体の会社構成員)が優先される。
心配なことを最後にひとつ。アイリスオーヤマは、大山健太郎そのものである。大山さんがどんなに永続企業を目指そうが、大山さん亡き後に、大山健太郎はいない。メーカーベンダーは、大山さんの発明であるとともに、大山健太郎の指揮なしには最高の演奏ができないオーケストラでもある。
柳井さんが玉塚さんを更迭してユニクロの社長に舞い戻ったとき(2003年)、大山さんがわたしに言ったことがある。「社長業が好きなんですよ(笑)」と。その後、創業者の友人たちは、ことごとく会長職に引いてのち、結局は社長に舞い戻っている。それは、自分が会社のすべてだからだ。本人の目の黒いうちは、他人に社長を任せられない。
大山さんの去った後のアイリスは、鈴木敏文さんが去ったあとのセブンイレブンにはならないだろう。しかし、唯一無二の高性能CPUを失ったあとでマシンがうまく機能できるかどうかの保証はない。