本書の刊行(2022年3月)からは4ヶ月が経過している。いろいろなところで、実は本書の広告を目にしていた。友人のカインズ土屋裕雅会長が推薦人に名前を連ねているのに気づいて、アマゾンでボタンを押した。一挙に読めておもしろかった。勉強になる一冊である。同じ本を2度、読み直すことはほとんどないのだが、本書はその例外である。二日続けて、丹念に読み返した。
本書は、200頁を少し超えるくらいのコンパクトな書籍である。内容も、第1章「覇者たる理由」(両社の比較)、第2章「ウォルマート」(リアルの覇者)、第3章「アマゾン」(ネットの覇者)で、シンプルである。しかし、書かれている内容は、深い洞察に満ちている。米国滞在30年の小売ジャーナリストだからではない。小売りの巨人たる両社を描く、著者の座標軸が明確だからである。
これまで両社について書かれた書籍や雑誌の記事と比較すると、両社の歩みを深く俯瞰していることが本書の特徴になっている。小売りという機能の進化と買い物の近未来を考える際に、日本の小売業経営者に対して大いなる示唆を与える一冊である。私自身は、両社について深い知識を持ち合わせていない。
アマゾンの小売り戦略やオペレーションについては、数年前に「GAFA」という4文字熟語を冠して有名になった本を原書で読んだけである。ウォルマートについては、まとまった本を読んだことがない。ご本人が書いた本(サム・ウォルトン/ジョン・ヒューイ著『ロープライスエブリディ』1992)を知るだけである。デジタルの内容に関しては、リアル(ウォルマート)もネット(アマゾン)もやや知識不足である。
二度繰り返して読んだのは、本書が難解だからではない。むしろ逆である。平易な語り口ながら、著者の考察には情報が詰まっている。そのため、最初は全体の構成を理解する必要から、詳細は飛ばしながら読んだ。二度目にディテールを追うという読み方で、ひとつひとつの事実やコンセプトを確認する必要があったからである。
とくに第3章のアマゾンの記述(実店舗の仕組みとその関連技術)に関しては、2019年10月に、ロック・フィールドの社史本を執筆するために、米国西海岸を訪問することがあった。その際に、アマゾンゴーやアマゾンブックス、アマゾン4スターの実店舗を視察していた。現場で得た知識と、鈴木さんの記述の整理を突き合わせる必要があった。
本書の貢献はどこにあるのだろうか?
著者がアマゾンの幹部との会話で引き出した短い言葉で、なるほどと膝を叩いたフレーズがあった。
「アマゾンはEC企業ではない、データ企業だ」(P.4)。たしかに、この見方でアマゾンの事業を見ると、ほぼすべてのことが理解可能になる。これに付け加えるとすると、アマゾンの本質は、「小売サービス業を対象としたセンサー技術開発の会社」だという解釈ができる。主として顧客データを分析することで、物理的には、顧客と商品の動きを感知して物流を合理化するシステム会社である。本書を読んでアマゾンについて得た評者の結論である。
対照的に、ウォルマートについては、マクミロンがCEOに就任した2014年から始まるDX(デジタル・トランスフォーメーション)の動きを、アマゾンへの対応という観点から整理している。11節からなる第2章「ウォルマート」の記述は、シンプルながら納得できるものである。
ウォルマートのデジタル戦略の肝は、ゼロからITシステムを再構築することである。手法としては、デジタルシステムの自製化である。具体的に、マクミロン時代に、IT企業のシステムやブランドをつぎつぎと買収するのだが、レガシーシステム(旧式な企業モデル)を作り直すために、デジタルの世界から一流の人材をスカウトするという手法を採用している。
デジタル人材が豊富で、シリアルアントレプレナー(連続起業家)が自分で起業するだけでなく、GAFAMを渡り歩くのが日常的に起こっている米国ならではの環境ゆえである。わが国ではとても考えられない、活発なベンチャーとM&A市場が存在するダイナミックな環境がうらやましく感じられる。
本書を読んで、わたしの知識の空白がうまく補完できた。また、冒頭に名前を挙げた土屋さん(カインズ会長)が本書を強く推している理由もよく理解できた。それは、土屋会長がいま、実際にカインズやベイシアのデジタル面からの「改装工事」に取り組んでいるベースになっているのが、「ウォールマートのアマゾン化」だと思うからだ。
また、アマゾンのユニークな小売りオペレーションの仕組みが、ベイシアグループの脅威にならないようにするためのヒントが、本書の中には書かれている。そんなわけで、両企業の最近の動きを、日本の小売経営者と流通研究者は、きちんと理解しておくべきだと考える。
やや話はやや横道にそれてしまうかもしれないが、日本にも同様な環境と実例が全くないわけではない。具体的な例にあげると、カインズの場合は、創業者の土屋会長が、ミスミから高家正行社長をスカウトしてきている。DXの総責任者として、池照直樹本部長を最初は顧問として、のちには完全移籍の形でカインズのDX戦略を任せている。これは、ITがらみのスカウト人事である(*この部分の記述は、拙稿「ホームセンターのDX戦略を考える」『DIY協会報』2021年夏号に詳しい)。
カインズの場合は、完璧にウォルマートの後を追っている。スローガンは、「IT小売業になる!」。情報小売業を宣言している。スクラッチからレガシーシステムを作り直して、なおかつ内製化するために、200人単位でIT人材を採用している。なんだかとてもアメリカっぽいアプローチである。発想の根底には、土屋さんと鈴木さんとの間で意見交流があったからだ、とわたしは推察している。
ここで、内容の詳細に入る。全体は、3つの章から構成されていることはすでに述べた。
第1章「覇者たる理由」は、両社の強みが、公開データと筆者の取材経験から分析されている。1980年だから30年をかけて、ウォルマートが米国小売業界の覇者になった。2010年ごろからは、アマゾンがオンラインECという切り口から、小売業の競争者として頭角を現すことになる。いまや20世紀の覇者が、21世紀の覇者に追い抜かれる場面にわたしたちは立ち会っている。
ただし、ディフェンスする側のウォルマートも負けてはいない。2014年からマクミロンがCEOに就任してからは、収益を落としながらも、アマゾンに対抗すべくDXとM&Aに取り組んできた。その成果を侮ることはできない。もしかして、今後はリアル店舗の巨人の逆襲が見られるかもしれない。
第1章では、現状の記述(両社の比較と強みの分析)に11節のほとんどが費やされている。共通しているのが、①一気通貫のサプライチェーン(デマンド主導型の供給システム)の構築を志向してきたことと、②EDLPとEDLCを同時に志向してきたこと。この二点である(ただし、アマゾンの場合は、EDLPは創業者ベゾスの独自解釈)。
両社のちがいは、たとえば、圧倒的な来店客数やBOPIS(ネットで注文、店舗でピックアップ)など実店舗の強みを生かしながら、ネットでデータを補完するウォルマート。それに対して、顧客データ主導からEC事業をはじめたアマゾンは、実店舗(ホールフーズ)を取得したり、仮想店舗(アマゾンゴーなど4業態)を実験している。そうすることで、店舗を持たない弱点をカバーしようとしている。
第2章「ウォルマート」を、評者はつぎのように読んでみた。
サム・ウォルトンが創業した当初(1970年代)から、ウォルマートにはデジタル志向があった。その話を簡単に説明したあとで、筆者は、同社のデジタル化の流れに沿ってこの章を書き進めている。興味深い内容は、全17節を読んでいただくとして、おもしろかったのは、最後の17節である。
興味深い最終節では、著者が両社の強みをサプライチェーンから分析している。アマゾンは、ラストマイル(小売→消費者)から始まった企業である。マーケットプレイス(他社商品の自社プラットフォームでのネット販売)で水平的に事業規模を拡大して、AWS(アマゾン・ウエブ・サービス)でクラウドシステムを外販して利益を稼いできた。
ウォルマートの成長と成功は、ファーストマイル(製造→小売)とミドルマイル(店舗間移動)の効率化に依拠している。手法としては、前述したように、一気通貫のサプライチェーンを効率よく作るために、徹底してEDLPとEDLCに拘ったことである。今日ウォルマートがダントツの小売業である本質である。
というわけで、両社あるいは米国小売業における戦いの最前線は、3つのサプリチェーンの統合を、データ(情報)とセンサー技術(物流システム技術)を用いてどのように効率化するかである。あるいは、顧客に支持される買い物環境をどのように設計できるかにかかっている。
小売業のことをある程度知っている読者でも、アマゾンの内部については知りえないことが多い。内情はベールに包まれている。第3章では、直接的には見えない部分が大きいアマゾンの姿を、筆者の取材と公開データ、そして実体験から推察している。参考になる部分があると同時に、わたしの知識を整理・補足することに役立った。
アマゾンの強さに匹敵する同業内の競合は、しばらくは現われそうにない。したがって、小売の未来は、覇者たる巨人たちの取り組みにかかっている。これが、第3章の結論である。そこで筆者は、アマゾンの取り組みとその意味を紹介してくれる。
まずは、ホールフーズの買収劇(2017年)を、物流的な補完ではなく、データ活用であると結論づけている。評者も、同様な推測をしている( 「HCとECのシナジーを考える:アマゾンがホールフーズを買収したことの意味」『DIY協会報』2017年7月号)が、その通りだと考える。
強いて言えば、消費者行動を観察するために、リアルな実験の場を求めての買収劇だったと考える。個人的な感慨になってしまうが、買収後にホールフーズの業績が思わしくないことを知っているだけに、マッキーの昔のファンとしては、業態としての凋落はとても残念ではある。
アマゾンゴーやアマゾンフレッシュなどの紹介が、その後に続いている。実際に訪問したこともあり、内容的にはそれほど目新しさは見られなかった。ただし、その他の小売サービス業への進出(たとえば、美容分野や健康分野)については知らないことも多かった。
とにかく、小売りの未来を考えるうえで、本書は実によく書けている2社の概説書である。この書評をアップした後で、元の大学院生たちとカインズの友人たちに、鈴木氏の本の書評を書いたことを知らせたいと思う。辻中俊樹さんの『米を洗う』(幻冬舎)に続く、「Must Read!」の良書である。
最後に、蛇足である。
この本で、一番おもしろかった逸話は、トイレの蓋の話だった(「小さな改善」の積み重ねで進化するリアル店舗、P.78~82)。米国ウォルマートの事業責任者だったフォランCEOが、あるとき現場で働く社員にメールを打った。「重要だと思うことを3つメールしてほしい」というアナウンスの直後から、2770本のメールが届いた。
そこからわかったことは、社員の中でもっと多かった不満は、「外されてしまったトイレの便座の蓋を元に戻してほしい」というリクエストだった。ふつうに考えれば、「給料を上げてほしい」とかと社員は答えそうなものである。しかし、実際に小売りの現場で起こっていることは、節約のためにトイレの便座の蓋を外してしまったことに対する「小さな不満」(TNT:Tiny Noticeable Things)だったのである。