一風変わった作風の本である。読み手によって評価は大きく分かれるだろう。ファッションマーケティングを分析的に追いかける立場から、本書にはきびしい評価を下す読者がいそうである。個人的体験を下敷きにした衣服史とみれば、最高の★5つである。わたしにはおもしろい作品だった。
著者の問題提起は、「”きもの”という衣の伝統文化を持ちながら、日本は西洋服ファッション文化への開国には成功しておらず、それどころか、西洋服後進国の悲劇はさらに混迷を深めている」という悲観論である。
リバーシブルできものを着るように裏返してみれば、これはファッション文化への愛情表現であることがわかる。日本の衣服文化への深い憂いと、ファッションの後進性の「なぜ?」を読み解くべく、筆者は欧米日の衣服の千年をゆるりと紐解いていく。
第1章から終章(第7章)まで、120個の歴史記録(「ニュース」、各1頁)を横糸に、各章末には、筆者による「ニュース解説」というファッション史解読が続く。絵巻物の縦糸は、日本と欧州のファッション・リーダーたちだろうか。
日本の西洋服ファッション史は、いまから150年前の開国期=明治維新を嚆矢とする(第5章)。そうなのだが、国際的に認められる日本人ファッション・デザイナーが出現するまでには、そこから100年(1960年代~1970年代)の時を待たなければならない(第1章)。
太平洋戦争後、日本国内で賞を獲得した若きデザイナーたちが海を渡っていく。そして、欧州のファッショントレンドに、極東から来た若き前衛たちが新しい風を吹き込む。川久保玲、三宅一生、森英恵、山本耀司が生み出したファッションは、あきらかに、きものの国の「雅」(平安朝の価値観)や「いき」(江戸の庶民意識)がベースになっている(この辺の説明は、第3章「藤原氏全盛期、、」と第4章「鎖国(海禁)期、、」に詳しい)。
彼ら・彼女たちは、ファッションの本場フランスで高い評価を受ける。もちろん、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)やPPR(ピノー・プランタン・ルドゥート:グッチ・グループ)のデザイナーたちに、コンセプト表現面でも決定的な影響を与える。日本の生け花のデザインが、ドイツやフランスやイギリスのマスターフローリストたちに衝撃を持って受け入れられたのと同じパターンである。
ところが、「戦士たる」日本人デザイナーたちの活躍にもかかわらず、日本発のラグジュアリー・ブランドはいずれも、いまのこところビジネス的に大きな成功を収めるまでには至っていない。
デザインの創発とモノづくりの現場が幸せな融合を見せる場所で、そこでしか、ラグジュアリー・ブランドは育たない。それが、フランスやイタリアにはあって、日本にはない条件である。塚田教授はその場のことを、「柔らかくナチュラルに閉じた組織」(終章)と表現している。
やや長くなるが、わたしがこの本でいちばん好きな節から、文章をそのままに引用させていただくことにする。本書の結論でもあり、日本の読者に対して開かれた、著者からの質問でもある。
3 柔らかくナチュラルに閉じた組織よ、永遠に、、、(296~297頁から、そのまま引用)
アルノーら(*注:PPRの総帥)、世界的なラグジュアリー・ブランドを率いるのは、理論武装した経営陣です。
一方の、フォーディズム(*注:GAPやウォルマートなどのマスマーケティング)の思想とその強さも、異業種では実証済み、むしろファッション業界が取り入れるのが遅すぎただけです。(中略)
問題はーー、きもの文化のある国の前衛は、どうしたらよいのか?わからないのは、前衛の場合、クリエイティブ・プロセスだけでなくその組織の未来だ、ということです。
コムデという集合体に対して村上春樹が記した「柔らかくナチュラルな自閉症」。まさに、私にはイメージ通りの表現ーそのような組織はどうすれば存続できるのか?
このあと、井深時代の創業期ソニーの組織形態=「組織された混沌」の記述が続く。
そして、ウイリアムモリス(アーツ&クラフト運動の創始者)らが求めた「デザイナーを頂点とした企業体というより、作り手たちが協業する工房(のイメージ)」を、前衛ファッションを生み出し続けるための理想的な組織として推奨している。
この組織形態は、川久保玲のコムデを縫製する江戸川区の製造業者(の工房)をイメージしたものだろうか?一方で、西洋服製造業の海外移転が進み、きもの文化が消え去ろうとしているいま、国内からは繊維製品を造る産地が消失しつつある。
繊維産業の立地変動は、塚田教授が主張する「作り手が主体の工房」の経済的な基礎を破壊してしまうことになる。その先に来るのは、前衛的なデザインを創発するソフトな産業の壊死である。
この問題に対しては、そう簡単に処方箋を見つけ出すことはできないだろう。その理由を説明してみたい。
(後篇につづく)