【書評】新雅史(2012)『商店街はなぜ滅びるのか:社会・政治・経済史から探る再生の道』光文社新書(★★★★)

 本書は、「商店街」の歴史的な起源と成長・発展、および衰退のプロセスをバランスよく扱った学究的な啓蒙書である。日本近代の産物である商店街を、これほど詳細に分析した類書は存在していなかった。目から鱗の驚きの発見がたくさんあった。若き社会学者の試みは大きな成功を収めていると言える。


筆者の説明で興味深いのは、通説とは異なり、商店街は「発明された」存在であるという歴史認識である(第2章「商店街の胎動期」1920~1945)。明治から大正にかけて都市が急速に拡大していくが、都市に移り住んだ人々の生活基盤のひとつが独立自営業であった。余剰となるべき雇用を吸収して成立したのが「商店街」だった。ただし、零細な商店は家族経営によって成り立っていたから、江戸期の商家とは事業継承の仕組みがちがっていた。このことが、後に商店街が没落する遠因になる。筆者独自の優れた視点である。

 戦後の日本社会に安定をもたらしたのは、都市部のオフィスワーカー(新中間層)だけではなかった。自営業者層が雇用の受け皿として大きな社会集団を形成していた(第3章「商店街の安定期」1946~1973)。二つの社会集団を、筆者は「両翼の安定」という概念で説明している。安定期の最終年を1973年としているのは、この年にセブン-イレブンが一号店を開いたからである。オイルショックと近代的な小売業(象徴がコンビニ)の登場が、商店街を凋落の淵に追い込んでいく(第4章「商店街の崩壊期」1974~)。

 商店街を没落させた要因として、筆者は大きく2つの圧力をあげている。米国政府からの規制緩和の圧力と、国内政治からの補助金の圧力である。政権与党だった自民党は、政治基盤を自営業者に依存していた。零細商店の苦境は、党の政治基盤を弱体化させる。対応策として、多額の税金が公共事業という形で地方に配分された。買い物を便利にする道路インフラの整備は、駐車場の不足する商店街の首を絞めてしまう。

 筆者の歴史分析には納得するが、ふたつの点から、論理展開と事実認識について疑問を呈してみたい。ひとつは、革新的な近代小売業者のルーツに関するものである。イオンやイトーヨーカドーをはじめとして、近代小売りチェーンは独立商店主から生まれている。コンビニなどの新しい業態を生んだのは、地方出身の商店主(その末裔たち)である。したがって、「独立自営業者=敗者」の図式は必ずしも当てはまらない。二番目に、零細小売店が消費者の支持を失ったのは、企業経営の問題である。外部環境の変化を持ち出すならば、1990年以降に急速に進展した小売業の海外商品調達に理由を求めるべきである。独立商店主(商店街)は、この流れに対応できなかった。地方の製造業が国内で雇用を失い、地方での消費基盤をことごとく失ってしまった。そのことが、地方の商店街を奈落の底に突き落としてしまった決定的な要因である。