これから、二冊の本を連続して書評することになる。どちらも、女性起業家がご自身で書かれた本である。本書、佐藤奈緒子『福祉で企業』と志村なるみ『ABC Cooking Studio:女性の心をつかむブランディングの軌跡』である。本の編集の仕方もライティングスタイルも対照的である。
本当は、どちらの本も、その背景にある人生ドラマは、かなり壮絶なはずである。ところが、完成した作品を読むと、佐藤さんと志村さんの表現の仕方は実に好対照である。たぶん、お二人のお人柄やご家族などの背景を充分に知らないと、初見の読者はそのことには気がつかないだろう。
志村なるみさん(静岡県藤枝市出身)の料理教室「ABC クッキングスタジオ」の起業史は、ずいぶんうす味で調理してあるのが印象的だ。佐藤さんの本は、それと比べるといかにも、東北の福島人らしく濃い味で壮絶である。鈍感なわたしには、その理由が最初はわからなかった。たぶん、一般読者もそのなぞは、本書を読みきるまでは解けないだろう。
佐藤さんの「起業本」は、うつ病の夫と知的障害者の息子を抱えながら、福祉分野で起業していく過程を書き留めた苦闘の記録である。50歳を越えたばかりの女性が、起業という華々しいイベントの裏側で起こった苦難の道を、自らの手で描くことを求めたのはなぜなのだろうか? まずはその理由を斟酌してしまう。
強面で成功している女性起業家として、表の姿だけを見せていれば、多少の嫉妬心は持たれるにせよ、世間は尊敬のまなざしで成功者として彼女を見てくれるはずである。しかし、本当のことを書くということは、自分の人生を世間に向けてあからさまにする行為である。書かなくてもよいことまで、白日の下にさらしてしまうのだ。自己表現に対するそれほどの思い入れは、いったいどこから来ているのだろうか。佐藤さんは、目立ちたがり屋ではなさそうなのに。なぜなのだろう?
佐藤さんのことは、わたしに本書を送ってくれた友人の坂崎潮さん(花の育種会社:フローラ21社長)から、一年ほど前から伺っていた。「知的障害者が働くことができる介護施設を起業したやり手の女性」というのが、坂崎さんの説明だった。雑貨とコーヒーの店「すずらん工房」での働きぶりは、坂崎さんから知らされていた姿、そのままである。とくに誇張もされずに、淡々と自らの筆でそのことが語られている。
舞台裏を暴露してしまおう。本の中に登場する“離婚された”旦那さん(佐藤氏)の実名は、本のどこにも書かれていない。姓が佐藤さんであること、それだけの存在として、「佐藤奈緒子、元夫」として記号的に前夫は処理されている。元夫の名前を完全に伏せて書くことは、それはそれですごいことだと思うが、実の名前を一行たりとも書かない心境は、それだけに重いはずである。その辺のアンビバレントな心象(強烈な恨み辛みとそれとは対照的な思いやり)が、文章の行間にちらちら見え隠れしている。
多少の回り道をさせていただく。坂崎さんは、佐藤さん(奈緒子さんの元夫)と北海道大学の同級生である。佐藤さん(夫)は、福島県の農業試験場に在職していたときに、「こしひかり」の突然変異種「みどり豊」を発見した。そのへんの事情は、本書にはまったく触れられていないが。佐藤さんを引き受けた坂崎さんは、いま、みどり豊の将来性にかけて、この品種を全国的にマーケティングしようとしている。わたしも、このお米のおいしさと品種特性(耐暑性、高収量性、倒れにくい性質)に惚れて、多方面からこの品種が普及するためのお手伝いをさせていただいている。だから、坂崎さんは、わたしに本書を送ってくれたのだと思う。
佐藤奈緒子さんは、20歳になったばかりの息子さんを突然失うことになる。3年前のことである。死因は、敗血症であった。男女の二卵性双生児のひとりだったが、生まれながらにして知的障害「自閉症」を患っていた。佐藤さんの人生は、うつ病でアルコール依存症の夫との生活から脱して、自閉症の息子のために生きることを目標に設計されていた。だから、精神障害者のためのピアノ教室を開いたり、「手作り雑貨とコーヒー店」の形態で護施設を作ったりしたわけである。
その夢ともいえない目標が、息子さんの死で頓挫してしまう。夢遊病者のような一年間の生活の後で、ふたたび本書を執筆することを思い立つ。その過程で、息子さんの死と決別することになる。
佐藤さんにとって、本を書くという行為は、亡くなった息子さんの思い出とともに、自分の半生を墓碑銘のように記憶にとどめておくための行為だったのだ。最終章に至って、わたしはようやく、本書を完成させておきたかった佐藤奈緒子さんの思いに得度することになる。