日本ネスレ社長の高岡さんには、「日本マーケティング協会」の発足時(2012年)に、シンポジウムのパネラーをお願いした。「元気な外資の若いトップ」という印象を持った。わたしはそのときは司会役だった。最近になって、高岡社長が著書を出版されたと聞いたので、学部ゼミの課題図書(12月)に指定した。
本書は、創業100年目にしてはじめて日本人社長を擁した外資系食品メーカーの「ローカライズ」の歴史を描いた物語である。企業理念として、スイス生まれの多国籍企業であるネスレは「現地化」を奨励している。ところが、現実的には、マーケティングや人事をローカライズすることはかなりむずかしいことである。
わたしの周囲には、外資系企業で働く日本人マネージャーがたくさんいる。社会人大学院(法政大学大学院もそのひとつ)の存在意義でもあるのだが、外資系で働く日本人にとってMBAの取得が有利に働くからである。しかし、彼らのキャリア形成にことが及ぶとなると、一般的に言えば、彼ら/彼女たちが置かれている現実は、高岡さんがビジネスマンとして通ってきた軌跡とはかなり隔たりがある。
どうして高岡さんだけが”得意な道”を歩むことができたのだろうか?
それは、自らの生き方として、高岡さんが「常識を破ること」(ルール破りの発想とその具体的な方法)を長い間、休みなく考え続けてきたからである。また、そういう人物を生み出したのは、ネスレという会社の柔軟な企業文化のおかげでもある。特異な人材が特別な企業人として歩んできた成果が、本書の主張を生み出したのである。
そのような人物(経営者)の存在が、本書を通して若い企業人たちの模範(ロールモデル)になることを、わたしは大いに期待したい。高岡社長は、日本の企業社会の未来にとって「望みの綱」である。
本書の内容について、触れてみたい。「あとがき」に印象的な文章があった。高岡さんは、経済同友会幹事である。おそらくは、年齢が近い日本人経営トップに向かって語っているフレーズである。まずは、そのメッセージを紹介したい。
(前略)ただ、私が言うまでもないことかもしれないが、断っておきたい。それは、日本には数多くの優れた経営者がいらっしゃるということだ。
彼らに本書を読んでいただけるとしたら、失礼な発言ばかりだったであろうことは十分に自覚している。私の言葉足らずで不愉快に思われた部分もあるかもしれないが、その点はご容赦いただければと思う。
また、経営者に限ることなく、これから変革を起こすべく、必死になってリーダーシップを発揮している方もいらっしゃるだろう。そうした方たちには、ともに歩みを進める仲間からのエールとして、私の言葉を受け取っていただきたい。(後略)
(本書「あとがき」275頁から引用)。
日本の若い経営者は、どのように本書を読むだろうか? 先ほどから(3時間ほど前に)、知り合いの経営者4人に本書を読むように推奨してみた。いずれも年齢が40代前半~50歳前半で、それぞれの業界ではフロントランナー企業の経営者たちである。日本の「保守的な」企業社会でイノベーションを起こしたいと希求し、実際に行動を起こしている方たちである。そのうちのひとりは、まさにいま本書を読んでいる最中だった。
わたしはといえば、高岡さんの本を、実に頼もしく感じて読んだ。個人的な生き方では「共通する部分」とNPOの経営者としては「反省させられる部分」のふた通りの読み方ができた。
共通しているのは、「常識にとらわれずに」ビジネスを組み立ててきたことと、企業人として「働く場所の選択で運が良かったこと」の二点である。常識破りの発想に加えて結果的にツキに恵まれることは、成功者にとって必須の条件である。どちらが欠けても、一瞬で奈落の底に突き落とされかねない。世間の常識を覆すことと自分がひっくり返ってしまうことは、紙一重である。
本書のタイトルが、著者の主張をよく表現している。「ゲームに勝つには、闘いの”ルール”を変えるよう働きかけること」だ(評者の解釈を含む表現)。
ただし、ビジネスにおけるルール変更(内部=社内評価と外部=市場競争)は、スポーツのルール変更とは条件が異なっている。つまり、スポーツでは勝者はひとり(1チーム)だが、ビジネスでは参加者のすべてが勝者(Win-Win)になることができるのである。その条件を模索して、ゲームの参加者を合理的に説得するのが、リーダーの役割である。本書をそのような前提で読み通すことができた。
高岡さんのビジネス体験とルール変更の筋書きは、とてもシンプルなものである。ただし、実際に実行できるかどうかは、まさに、「思いついたことの98%を実行できるかどうか」の行動力にかかっている。
著者は、生粋のマーケティング出身のビジネスマンだが、ゲームの守備範囲はかなり広い。この点が本書が並みのビジネス書とはちがうところである。
マーケティングの発想は、新製品開発(第4章:キットカットの事例)やチャネルの組み換え(第5章:ネスカフェゴールドブレンドバリスタ)だけではなく、人事採用や財務政策(第6章)にもおよぶ。ゲームのルール変更は、リスクマネジメントや企業戦略(第7章)が対象でもある。
なお、日本では、マーケティング出身の経営トップが異常に少ない。その意味では、高岡さんは日本のマーケターたちのひとつの優れたロールモデルである。
本書を読んであらためて、日本マーケティング学会の石井淳蔵会長が、発足記念シンポジウムで高岡さんを講演者・パネラーとして指名したのかがよくわかった。
わたしは、石井先生の著書から、高岡さんを「キットカット」をリポジショニングした人として認知していた。実際には、単なるマーケターを超えた偉大な経営者だった。
<補足>
日本グローバル企業にとって、本書の意味することを補足しておきたい。
ネスレ日本で高岡さんが実行してきた「多国籍企業の経営現地化」は、これから本格的にアジアに進出していく日本企業にとっては、合わせ鏡を裏側から見ることである。日本企業がこれから採用していくだろう優秀な「アジアの高岡」(現地人トップ)に課される役割は、高岡さんが経験してきた道に近いのではないだろうか?
日本で始まった基本ビジネスから大きく逸脱することなく、その国の事情に合わせて経営を現地化していく。そうしなければ、ローカルで優秀な若い経営者が育たない。そのとき、日本の本社がどのように現地の経営陣を見るべきかのヒントを本書は与えてくれる。
日本ネスレから高岡社長が生まれたように、アジアの現地法人で「ローカル経営の達人」を育てられなければ、日本企業に未来はない。アジアで圧勝できなければ、日本の将来は暗いからだ。そのための成功の鍵は、マーケティングのローカライズもさることながら、進出先国での人事政策にあるのではないかと思う。